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横浜駅 イタリアン・レストラン・エルスウェーニョでのビッキーとユーリのグルメ探訪(四)2015.12.04

横浜駅 イタリアン・レストラン・エルスウェーニョでのビッキーとユーリのグルメ探訪(四)

ビッキーとユーリは横浜駅イタリアン・レストラン・エルスウェーニョが好きで好きで、たまらなくなった。お店の人たちともなじみになってきた。

ビッキーとユーリが横浜駅から歩いて
イタリアン・レストラン・エルスウェーニョを訪れた時
今回もいつもの女性が迎えてくれた。
「こんばんは、いらっしゃい。ユーリさん今夜はとてもすてきなワンピース。よくおにあいだわ。」
まるで自分の実家に帰ってきたような感じだ。
今夜は入ってすぐ左にあるこじんまりした小部屋で二人だけの空間を楽しむ。
床のテラコッタの濃い茶色が落ち着きをかもし出す
白いしっくいの壁が部屋を丸く囲む。
江野がやって来た。
「ビッキーとユーリちゃん、仲がよくていいねぇ。今日は何にする?」
と気さくに声をかける。
「この生ハム四種盛り合わせと今夜は白ワイン、それからペペロンチーノがいいかな。」
とビッキーが注文する。
ペペロンチーノと問いて江野はちょっと意外な気がしたと同時に少し緊張した。
ペペロンチーノほどイタリア料理人を悩ます料理はないのだ。
ともあれ、まずは白ワイン。
生ハム四種盛り合わせに負けないような白ワインならイタリアではガヴィ・ディ・ガヴィがいいだろう。
軽めでさわやかでフレッシュな味わいのイタリアンという通念がまかり通っているが、このガヴィはさわやかさの中に豊かで濃厚な味わいが広がる。
「おいしい」
とユーリ。
「白ワインもなかなかいいな。」
とビッキー。
四種類の生ハムが一皿に盛られてきた。
「どれもおいしそう、どれから食べようかなあ」
とユーリが言う。
「そうだ、この自家製パンと一緒に食べよう。パンもください。」
パルマ産プロシュート、超熟プロシュート、幻のクラッテロ、そしてイベリコの四種類である。どれもおいしく、そして味わいや香りが違う。
熟成プロシュートは今回初めて食べる。
普通、パルマ産プロシュートは12ヶ月熟成だが、この熟成生ハムは24ヶ月熟成させる。
12ヶ月プロシュートのフレッシュな肉の味わいに対してやわらかく濃厚な味だ。
本当は36か月の超レアな超熟プロシュートも仕入れたかったのだが、今年は完成しなかったそうだ。
それほど36ヶ月熟成は困難なのだ。
それには地球環境の変化という要因もある。
人工的飼料で育った豚はとうてい36ヶ月の熟成には耐えられない。
自然の純粋なものだけを取り入れて育つ豚でなければ。
しかしながら、その自然そのものが汚染されて生きたとしたら?食べるものだけではない、飲み水も、呼吸する空気も生命に大きく作用する。
おなじ問題はチーズの熟成でも現れている。
かつては、3年熟成、5年熟成のパルジャミーノ、レッジャーノチーズが存在したが、今はそれができない。
原因は牛の乳が弱ってきて、長時間の熟成に耐えられないのだ。
生命が弱る。
これが最も大きな問題だ。
人間も例外ではない。
便利な環境、快適な環境、ぬくぬくとした環境、あるいは電磁波、あるいは生活のスピード、あるいは膨大な情報量。
こういうものが生命の力を弱らせるとしたら?
………
パンが来た。
江野が愛情を込めてカメリーナと呼ぶトスカーナパンだ。
ユーリは「横浜駅イタリアン・レストラン・エルスウェーニョ、マスターの小説」の中にあるカメリーナの物語を読んで感動した。
「わたしもカメリーナになりたい。カメリーナのように、すばらしい人間に巡り会いたい。」
ガヴィ・デ・ガヴィ、四種類の生ハム、カメリーナ、最高の取り合わせである。
お互いが、すばらしい味を持ちながら、なおかつお互いをひきたてあう。
イタリアで最も食べられている料理であるスパゲッティペペロンチーノは、スパゲッティ、にんにく、オリーブ油、ペペロンチーニ・こと赤とうがらし、のみで調理される、非常に簡素で単純な料理である。
こういう料理こそむずかしい。
まず水。水の高度、クラスターの大きさ、新鮮さ。お湯の量、日の強さ、スパゲッティを入れた瞬間でも100度を下がらないようにたっぷりの湯、強い火が必要だ。
アルデンテという茹で加減。
時間で計るのではない、感触で計るのだ。
オリーブ油は熱して、にんにくの香りとオリーブ油の香りと赤とうがらしの香りとベストマッチングの状態の時、スパゲッティが茹で上がり、両者が合わせられ乳化してからみ合う。
そして塩、
そして胡椒、
迅速な手際が必要だ。
塩、胡椒。これほど料理を左右するものはないだろう。
種類もたくさんある。味も違う。
だが最も重要なのはその量加減である。
現代の料理、食べ物は味をはっきりとさせるためか、総じて塩、胡椒の量が多いように江野には思われる。
塩と胡椒は素材の味をひきだすためのものであって、
それ自体の味は隠れていなければならない。
塩は、100年ほど前までは日本では貴重品であった。
岩塩のない日本の特に山奥では塩一袋と子供が交換された。遠浅の海岸の塩田で、海の水を取り入れて干して塩を取る方法しかなかった、
土俵や神棚など神聖な場所に塩は置かれていた。
胡椒もまた貴重であった。
ヨーロッパはインドや中国の胡椒を得るため、あらゆる犠牲を払って、シルクロードを旅した。
それほどまでに人間にとって必要なものだったのだ。
ビッキーとユーリのテーブルに置かれたスパゲッティペペロンチーノは熱々の湯気と共に、
にんにくとオリーブ油の香りを部屋中に放っていた。
小麦粉のいい香りもする。
「おいしい。ほんとにおいしいスパゲッティ。ただの白いスパゲッティだけにみえるのに、こんなに豊かな味なんだわ。」
とユーリが感嘆する。
香り高いオリーブ油のソースはカメリーナにもよく合う。
横浜駅イタリアン・レストラン・エルスウェーニョの夜は今日も更けていく。
奥のほうでジャズの生演奏も始まった。
今度は、ビッキーとユーリは離れた小部屋で生演奏の音を聞きながら、二人だけの時間を過ごす。
愛を語らいながら…。
第四部 おわり

横浜駅イタリアンレストラン・エルスウェーニョでのビッキーとユーリのグルメ探訪(3)2015.11.29

横浜駅イタリアンレストラン・エルスウェーニョでのビッキーとユーリのグルメ探訪(3)

数週間たった。
ビッキーは横浜駅イタリアンレストラン・エルスウェーニョのあのラザニアの味が忘れられなかった。
きっとイタリアの田舎の家庭で
古くから食べられている味なんだろうなと思った。
ユーリを誘って
横浜駅から歩いてイタリアンレストラン・エルスウェーニョを訪ねた。今回が三度目だ。
店内に入ってビッキーはふと思った。
「ここは空気がきれい。さわやかだ。」
いつもの店員ががにこやかに二人を奥のグランドピアノのあるホールの席へ案内してくれた。
床は本物のオークの板張り日干しレンガとしっくいの壁に囲まれている。
窓はない。
前回も前々回もうっすらと感じていたが
空気がさわやかで気持ちがいいのだ。
長い時間いても疲れることがない。

シックハウス症候群いう言葉がある。
ビニールクロスと接着剤ばかりの新しい部屋で病気になるのだ。空気がそういう材料によごされるからだ。

しかし無垢の木、日干しレンガ、テラコッタ、しっくいという自然の素材は空気をよござないばかりでなく
、湿度の高いときは、水分を吸い、乾燥している時は、水分を放出する。
それはマイナスイオンとして空気を浄化する。事前の空気洗浄装置なのだ。
なによりこれらの自然素材は呼吸する。
生きているのだ。
それが人間にどのように影響するかは
長い歴史の中で証明されている。
産業革命の後、石油化学工業の発達で我々の生活環境をとりまく素材は激変した。
効率ばかり追い求めることを反省し、人間にとって、そして地球にとって、何が大切なのか考えなおさなければならない。

「やあ、いらっしゃい。また来てくれたね」
と江野が気さくに迎えてくれた。
「とってもおいしいのでまた来ちゃった。」
とユーリがいたずらっぽく笑う。
「今日はイベリコ生ハムとイベリコスープのつけめん、それに合うワインを一本お願いします」
とビッキーが注文する。
いつものように江野が開けて注いでくれたワインはアゴンターノと読めた。イタリア南部のマルケ州のワインである。
赤の色も黒々と濃く、味も重濃な感じだ。
赤ワインでは濃厚な味をフルボディと呼ぶ。
対して中くらいをミディアムボディ、軽めをライトボディと呼ぶ。
このアゴンターノはフルボディである。
イベリコ生ハムの皿が来た。
あざやかな赤い肉の色に白いラルド(脂肪)が散っている。
一口食べるとおいしさが体中に広がる。

とろけるような味と深い香り。
「こんなにおいしいものがあったなんて!」
ユーリは感激してビッキーと顔を見合わせる。
スペインやポルトガルのあるイベリア半島。
イベリア半島産の黒い大きい豚をイベリコと呼ぶ。
ハモン・イベリコ・デ・ベジョータと称する。
ハモンは後ろ足のことを指すがもともと美味を意味する。
ベジョータはどんぐりなど木の実のこと。
スペインの山の牧場で放し飼いにされ、木の実やハーブを食べて育つ。
そして生ハムとして三年間の熟成を経て、完成する。いや人工的飼料をいっさい食べないからこそ、三年間の熟成に耐えうるのだ。
ビッキーとユーリも「横浜駅イタリアンレストラン・エルスウェーニョ・マスター小説 第三話」でイベリオとイベリコの物語を読んで感動した。あのようにしてイベリコは生き、あのようにしてハモンイベリコに生まれ変わるのだ。
それがこの味、このおいしさなのだ。

ビッキーとユーリはイベリコ生ハムを食べ
アゴンターノの赤ワインを飲み
横浜駅イタリアンレストラン・エルスウェーニョの奥テーブルで至福の時を過ごしている。
店内の席ももうだいぶ埋まってきてにぎやかになってきた。
ピアノベースとテノーサックスの演奏が始まった。
目の前で聞くピアノの美しい音色。
サックスの深い音、曲は「レフト・アローン」美しいバラードだ。
優雅な雰囲気の中で二人はますます幸せになってきた。
イベリコ豚骨スープのつけめんというのが運ばれてきた。
デュラムセモリナ粉を打って茹で上げた手打ち生パスタを冷水でしめて盛ってある。
茶碗に濃厚な香りの暖かいスープが入っていて、それにパスタをつけて食べる。
モチモチしたパスタの味が濃厚スープによく合う。
この豚骨スープは江野の独創でイベリコ生ハムを削り取った後の足の骨を野菜といっしょに一週間煮込むのだ。
ゆっくりと時間をかけて煮込。
濃厚ですばらしい味のスープができる。
ちなみにこのスープでつくるイベリコラーメンは知る人ぞ知る幻のラーメンである。
横浜駅イタリアンレストラン・エルスウェーニョの夜はまだまだ続く。
お客様もどんどん来店してくる。
ジャズの生演奏もどんどん続き雰囲気を盛り上げている。
ビッキーとユーリの幸せな夜も過ぎてゆく

              第三章おわり
20 × 20

横浜駅イタリアンレストラン・エルスウェーニョでのビッキーとユーリのグルメ探訪(2)2015.11.29

横浜駅イタリアンレストラン・エルスウェーニョでのビッキーとユーリのグルメ探訪(2)

ビッキーとユーリは、また横浜駅イタリアンレストラン・エルスウェーニョへ行きたくなった。
アンティークで重厚な店内の造り。
できては消え、できては消える横浜駅周辺のレストランにはとうていかもしだすことのできない三十年の歴史の重み。熟成した雰囲気。
店主や店員の人柄。おいしい料理。お酒。
ジャズの生演奏。
「またいきたいな。」
すぐ行ける。横浜駅から歩いてすぐだ。
休みはない。店は毎日開いている。
ビッキーとユーリは再度
横浜駅イタリアンレストラン・エルスウェーニョを訪れた。
入り口に足を踏み入れるとなつかしい感じがした。
もう何度も来ているなじみのお店のような。
そして子供の頃行ったいなかのおばあちゃんの大きな家のような。
前回と同じ店員が
「いらっしゃいませ。またお越し下さってありがとうございます」
と笑顔でむかえてくれた。覚えていてくれたのだ。
「今回は違うお部屋にどうぞ」と案内してくれた。
あの大きな一枚板のカウンターと大きな丸太の梁を右に見て、グランドピアノのあるホールの手前を左に折れる。しっくいの壁が丸く囲んだ中くらいの部屋がある。テラコッタの床と頭の上にガレーのシャンデリアが下がっていた。
「素敵な部屋だな。十人くらいのパーティにちょうどいいな」と思って部屋に入ると
驚いたことにその部屋の奥にもう一つの部屋があった。
こちらも丸いしっくいの壁が囲み、床はオークの無垢の板張り、丸い大きめのテーブルと長イス
そしてその横に小さい暖炉が掘られている。
「ステキ、秘密の部屋みたい」
とユーリが言う。
座って上を見るとアイボリ色の天井は教会のようにドーム状に丸くつくられている。
窓に厚いガラスがはめられ、絵が彫られている。花瓶の絵の上にラリックという名をみつけて、フランスのガラス彫刻家のラリックかしらと思う。
こんなに厚くてすてきな硝子は見たことない。
そういえば前回の小部屋もこんな厚くて大きくてカーブを持っているガラスで仕切られていたな。
ビッキーとユーリがそんなおしゃべりをしているうちに江野がやってきた。
「やあ、いらっしゃい。また来てくれてありがとう」
とメニューを渡す。
ビッキーとユーリは江野に会うのがたのしみだ。
もうだいぶ年とも思われるが、体の姿勢もいいし、体型も若者のようにひきしまっている。
歩く姿や動きもキビキビしている上、ものごしが優雅で見ていて楽しい。
「いい年齢の重ね方をしてきたんだろうな」
とビッキーは思う。

料理の仕事は体が資本である。
毎日、長時間、立って仕事をする。
長時間立っていられるためには姿勢が大事だ。
正しく美しい姿勢を保つためには足腰を鍛える必要がある。
江野は通勤に山の坂道を片道四十分かけて歩く。
三十年近く毎日歩く。山の公園の木で懸垂し、体操する。
イタリアンレストラン・エルスウェーニョが横浜駅の近くにできてから一日も欠かしたことがない。
メニューを見ながらユーリが
「このカルチョーフィって何ですか?」
と聞く。
アーティチョークとも呼ばれるカルチョーフィはイタリアには普通にたくさん生えている。
アザミの紫の大きな花をとって花びらやガクをとりのぞき、特上の花芯をソテーにする。
あるいは煮込む。季節のものなのでたくさんつくってマリネで保存する。
イタリアの一般的な家庭では普通に食べられている。イタリア人の大好物だ。
「じゃ食べてみよう。あと生ハムの、この幻の生ハムとそれから赤ワインのボトルをお願いします。」
とビッキーが注文する。

江野が持ってきたワインはイタリアのバローロだ。
イタリア北部のピエモンテ州の代表的なワインだ。
ピエモンテのバローロとバルバレスコは
イタリアンワインの王様と女王様と呼ばれている。
愛称のとおり、バローロは力強い男性的な味わいがあり、バルバレスコは優雅なおいしさである。
特にこのほかの特産で味覚の王様トリュフと共に味わわれている。
そんな話をビッキーとユーリにとつとつと語りながら、江野はソムリエナイフであざやかにバローロをあけ
まずはビッキーの背の高くて薄いワイングラスに少量注ぐ。
ワイングラスの口は少しつばまっている。
ワインの香りを保つためだ。
「ワイングラスをすこし回して赤ワインを空気にふれさせてから香りを嗅いでください。」
とアドバイスした。
赤ワインのボトルからデキャンタに移して空気にふれさせる。
デキャンティングという方法もある。あるいは予約を受けて何時間か前に抜染しておく方法もある。
そのように赤ワインを空気にふれさせて香りが大きくなることを「ワインが花ひらく」と呼ぶ。

それからビッキーに一口味わってもらい。
「いかがですか?」と問いかけ
ビッキーは「とてもおいしいです」と答える。
それからユーリのグラスに注ぐ。それからビッキーへ。
ワインのテイスティングと呼ばれる儀式だ。
ビッキーとユーリは「乾杯!」
といってグラスを重ねてバローロを味わう。
「おいしい」とユーリはニッコリと
ビッキーと江野に微笑みかける。
幻の生ハムが来た。
皿にスライスして盛られているだけで
おいしそうな独特の香りを放っている。
「クラテッロ・ディ・ズイベロ」
イタリアのエミリア・ロマーニアを流れるポー川の上流の小さな村、ズイベロ村でしかつくられていなくてイタリア以外ではもちろん、
イタリアの人達でさえ、なかなか口にすることができない希少な生ハムだ。
別名 幻の生ハム。

製法は永らく秘伝であった。
霧深いこの山奥の村で、昔から村人の間でひっそりとつくられていたのだ。
まだビニール袋などない時代。
水を入れて持ち運ぶ皮袋に牛のボウコウ(膀胱)が使われていた。
雌の豚のおしりの肉を雄牛のボウコウに詰め込んでヒモで網状にしばりあげる。
それを洞窟にずらりとつり下げる。
毎日、床にワインを撒きキハツ(揮発)したワインを
皮と肉に吸わせる。
そのようにして熟成させる。
ビッキーとユーリも初めて食べる幻の生ハムのそのおいしさ、秘密めいた味、遠い時代、はるかな土地を思わせる味にことばもでない。
遠いイタリアの山奥の地へ思いを馳せる。
バローロがいちだんとおいしくなった。

次のお皿はカルチョーフィと煮込み野菜のサラダだ。
大きめの皿にサニーカールやルッコラの生野菜が盛られ、周りにカルチョーフィ、トマト、セロリ、パプリカ、ピーマン、ナスなど煮込んだ野菜が盛られている。
生野菜にかけられているドレッシングソースは、江野のオリジナルで少し和風のテイスト。どうやってつくるんですか?とよくお客様から尋ねられる。
江野は野菜のおいしさをひきだすのは
とてもむずかしいと思っている。
江野の子供の頃、家の前の畑にはいろいろな野菜が実っていた。真っ赤に熟したトマトにかぶりつく。
夏の香りと太陽の味。曲がったキュウリをボキッと折りガリガリ食べる。青い香りがあたりに広がる。
甘く青い味。
野菜だけではない。山には生まれたばかりの柔らかいタケノコ。朝ひらいたばかりのシイタケ。地中に長く伸びた大きなヤマイモ。
自然の恵み、味、おいしさをそのまま直接食べていたのだ。
海の幸も海から直かにもらう。

遠浅の干潟で砂を熊手で掘ると大きなアサリやハマグリがゴロゴロ出てくる。あさりは海に戻して大きなハマグリだけをバケツにいっぱい持って帰る。
今晩の食卓にのぼる。
江野は現代の野菜、魚、肉などは総じて
味と香りが薄くなってきていると思っている。
それらの食材の本来持っている豊穣な味と香りを引きだすことが料理だ。
調味料ではない。
自然を引き出す方法。
イタリア料理では野菜はバーニャカウダーなどにして食べられる。
ソースはアンチョビ、にんにく、チーズ、オリーブ油、牛乳、生クリームなどを煮込み暖かくして生野菜にかけて食べる。
だがその生野菜がいま出まわっている味の薄い野菜だとしたら?

店ではラタトゥイユと呼んでいるカポナータは伝統的野菜煮込み料理である。
イタリアだけでなく地中海地方では一般的な家庭料理だ。
いろいろな野菜をいろいろな方法で煮込む。
日本の味噌汁と同じくおふくろの味なのである。
ビッキーとユーリの食べている煮込み野菜は
江野が毎日煮込むラタトゥイユで、イベリコ生ハムのラルドとオリーブオイルでゆっくりと野菜をソテーし、
そのまま塩味だけでゆっくりと煮込むだけで、水やダシは入れない。
ビッキーとユーリははじめて食べるカルチョーフィだけでなく、食べなれているナスやパプリカなどがこんなにもおいしいのかと
目が覚めるような気がした。

横浜駅イタリアンレストラン・エルスウェーニョでのビッキーとユーリの今夜のおめあては
はじめから決まっている。
ラザニアという素晴らしいイタリア家庭料理がある。
各家庭に各ラザニアがある。
材料として小麦粉、トマト、野菜、肉、牛乳、生クリーム、チーズというふうにほとんどすべてを使う。
調理方法も水で茹でて火で焼く。
二重においしさを増幅させるのだ。
江野はイタリアの大きい農家の主婦シルバーナのつくるラザニアが最高だと思っている。シルバーナは毎日、家庭や小作人たちに食事をつくっていた。
ラザニアは平べったいパスタをゆで、
ホワイトソースとトマトのミートソースをパスタの間にはさみ重ねて、オーブンで焼く。
形は自由で、丸くも四角もできるし、
重ねる段の数も自由である。
パスタ生地にもいろいろな材料を混ぜることができる。ラグーと呼ばれるミートソースの材料はなんでも使えるし、
ホワイトソースもいろいろな方法がある。
ベシャメルと呼べれるバターと小麦粉をゆっくりとソテーし、牛乳で暖かくきめ細かくのばしてゆくホワイトソースが一般的であるが
江野は独特のホワイトソースを生み出した。
古来、イタリアでは栗の実やクルミのみが小麦粉のかわりにホワイトソースとして使われていた。
それを取り入れている。
パスタも普通レストランなどでも使われている乾燥した板のようなラザニアを水でもどしてから重ねてオーブンで焼くというものではなく、
小麦粉を練って伸ばす生パスタを広たく形つくって、そのつどゆでる。
温めた自家製のホワイトソース。パスタ、ラグー、パスタと交互にゆでては重ね、四枚重ねる。
二人前ならこれくらいだ。

上にチーズとホワイトソースを重ね
炭火で焼く。
ビッキーとユーリの前に置かれたラザニアは焼きたてで、ソースがグツグツと煮えかえっていた。チーズをはじめ材料の香りが広がる。
「おいしそう」
お皿が熱いから気をつけなくては、
カットされた一切を小皿にとってすこし冷まして口へ運んだ。
「おいしい」
二人は顔を見合わせた。
イタリアの古き良き家庭の情景が浮かんだ。
家族がいて暖炉が燃えて、木のテーブルでおかあさんの作ったラザニアを子供たちがフーフーいいながら食べている。
そんな暖かい家庭、暖かい味だった。

              第二章おわり
20 × 20

後編2015.11.29

後編
ただ二十世紀の【時は金なり】という産業革命の波に乗りたくなかっただけである。
聖人フランチェスコ、ダンテ、レオナルド・ダ・ビンチ、ミケランジェロといった才能もこの地方で生まれた。
ワイン、オリーブ油などの最高品と極上の料理を輩出する。
ビッキーとユーリのテーブルで、江野がトスカーナの話をまじえながら慣れた手つきでキャンティを開ける。
ユーリに向かって再び
「おめでとうございます。」と言ってグラスに注ぐ。
ユーリはニッコリと「ありがとうございます」と答えた。
そしてビッキーのグラスにも注ぐ。
二人はもう一度「乾杯!」とグラスを合わせてグラスを口に運んだ。
ゆっくりとワインを味わってから、二人同時に「おいしい・・・」と口を揃える。
三人ともニッコリと顔を見合わせる。

モッツアレラチーズと完熟トマトの一皿が来た。
緑のルッコラに囲まれて、真っ赤なトマトと真っ白なチーズがまるでイタリアの国旗のように。
ナポリ沖のカプリ島にちなんでカプレーゼと呼ばれる。
モッツアレラチーズは牛の乳からつくるラッテと水牛の乳からつくるプッファラの二種類があり、
いずれも熟成の残る生チーズで冷水の中で保管される。
イタリアから空輸されたこのモッツアレラ、ブッフォラはコシのある独特の味と香りを持つ。
真っ赤に完熟したトマトとお湯でさっとゆでて湯むきしたトマトといっしょに独自のドレッシングで和えたこの一皿は
チーズとトマトのおいしさでお互いをひきたてあい、バジルの香りも相まって、夏の地中海を思わせる味だ。
【イタリアの味ね】
とユーリ。
「うん、おいしい」
とビッキー
「イタリアに行ってみたいわ」

江野が愛嬌を持って「カメリーナ」と呼ぶ
トスカーナの古典的パン。
水と小麦粉だけでつくり、かつては村の共同釜で週一度だけ焼かれ、人々に愛されたカメリーナ。
ゴルジーニ村のカルロは今でもその手法でトスカーナパンを焼いている。
料理名人アンジェロも。
アンジェロは日曜日の朝、自分のレストランの中庭につくった「フォルノ」で
かつてのような伝統的手法にのっとってトスカーナパンを焼く。
そしてお昼頃、そのフォルノの火でいくつかピザを焼いてくれるそうだ。
知る人ぞ知るそのピザが最もおいしいといわれる。
どのようなピザだろう?
江野は想像し。三十年それを追い求めている。

今やナポリのみならず世界中で
日本中で焼かれているナポリ風ピザ。
かつて、ナポリを訪れたマルゲリータ王女が「庶民の食べるものを」と求めたのに対し、
トマトとモッツアレラチーズとバジルのナポリピザを供したことがピザマルゲリータの由来である。
非常な高温で、短時間で焼き上げ
そのモチモチした柔らかい食感で人気が高いが、「小麦粉が火とたわむれる時間が短すぎる」と江野は思う。
「カメリーナが喜ぶ温度でもなさそうだ」
カメリーナは水と火と時間によって
美しく、おいしく生まれかわる。
ビッキーとユーリのテーブルに置かれたピザは大きめのアンダーソーサーの上に焼く熱せられた皿の上でジュージューと音をたてていた。
やけどしないように一切をとってふーふーと息を吹きかけてすこし冷まし口へ運ぶ。
パリっとした食感がとてもいい。小麦粉の香ばしさほんのりとした甘みが広がる。
「こんなピザ初めて」
とユーリ

トマトのラグーソースとチーズのこくのあるおいしさがカメリーナ(ピザ生地)と重なって
このうえないハーモニーをかなでる。
「こんなおいしいピザは初めてだ」
とビッキーも思わず言葉にした。

江野の小さい頃、おじいさんたちは山で炭焼きをしていた。おかあさんはかまどで薪でごはんを焚き、おふろは薪でたく五右衛門風呂であった。
大きな鍋のようなもので丸い木の枝に乗ってお湯につかる。
江野は毎日夕方、実を起こし、薪をくべておふろを焼く。
暗い夜、薪の燃える火をみているのが好きだった。
炎と対話しているような気がした。
今も炎と対話している。
窯の中でカメリーナと炭火がたわむれ交観する。
カメリーナは徐々においしく美しく焼き上がる。
どういう火の状態がカメリーナにとっていちばんいいのか?
それを追及して三十年になる。
まだまだ続く。

横浜駅の近くのイタリアンレストラン・エルスウェーニョでのビッキーとユーリのお誕生日食事会はまだまだ続く。
お客様もだいぶ来店してきて、少しにぎやかになってきた。
やがて女性のピアニストと男性のベース奏者によるジャズの生演奏が始まった。
心地よいピアノの音、ベースのリズム。「星に願いを」を演奏している。ユーリはこの曲が大好きだ。
イタリアンワインキャンティとおいしいお料理とジャズの演奏でビッキーもユーリも心地よい幸せな気分だ。
まして二人はお互いが大好きな若い男女である。
「もう一品頼もうか
パスタがいいだろう。」
とビッキー
「このパルミジャーノのクリームパスタがいいわ。」
パスタはイタリアの代表料理である。
イタリアの南の地方では小麦粉のドウー(練ったもの)から細長い糸状に抽出して日干して乾燥させたスパゲッティが古くから食べられていた。
イタリア料理は二十世紀の初めころから、世界大戦後にかけて貧しいイタリア人のアメリカ移住によって、
まずアメリカで広まり、育ち、それから世界中に広まる。
日本には戦後アメリカ経由で広まる。
それからスパゲッティは日本でもおなじみの食べものになった。
ミートスパゲッティとナポリタンスパゲッティが喫茶店や食堂の定番メニューだった。
やがて海外旅行が開禁され、多くの人がイタリアやヨーロッパの文化料理に接して、本場イタリアの料理が直接日本にもたらされた。
ペペロンチーノ、ボンゴレー、ぺスカトーレ、アラビアータ、カルボナーラ、ジェノベーゼ…無限にある。
イタリアの人たちはスパゲッティへの思い入れが特に深く各人がおのおの自分の最良のスパゲッティのレシピと、ゆでかげんを持っているのである。

南の地方の乾麺とトマトソースのスパゲッティに対して、北の地方では生のパスタが中心で主にクリームソースとチーズで合わせられる。
硬質小麦のデュラム・セモリナを水で練って、そばやうどんのように打って切るのである。
そしてゆでる。
水は料理にとってもっとも大切なものである。
水の味、その質が料理を大きく左右する。
地域や地質によって水の高度、ミネラル分、おいしさが違ってくる。
それだけではない。水の構造によっても味が変わってくる。
よく雪解けの谷の水がおいしいと言われる。
お酒をつくるのに最適だと。
理由はこうである。
水はH2Oの分子がいくつか集まって房になった状態にあり、これをクラスターと呼ぶ。
とどまっている水、静止している水、池や海の水はクラスターがだんだん大きくなる。ほとばしる水はクラスターが砕かれて小さくなる。
水が水蒸気になる時、クラスターは最小だ。
それが空で凍る。クラスターは最小のままだ。
雪になって積もる。とけて最小のまま水にもどる。
その最小のクラスターの状態の水が最もピュアでおいしく物質を良く溶かし、酒や料理をひきたてる。
イタリアンレストラン・エルスウェーニョは、当時まだ珍しい逆浸透膜の浄水器をいちはやく設え、料理の水として使ってきた。
水道水から塩素や農薬やウランをとりのぞくだけではない。
水のクラスターをその細かい膜でできるだけ小さくするのだ。

ビッキーとユーリの席に運ばれたパスタは
江野が打って切ったパスタをゆであげ、熱い生クリームであえて皿に盛ったところをパルミジャーノチーズを削り、
ふわりと雪のように白く積もらせていた。
パルミジャーノの香りがすばらしい。
その水でゆでられた生パスタのモチモチとした味が絶妙の塩かげんと生クリームと交わり、
それに削りたてのフレッシュなパルミジャーノの香りがからまって、えもいわれぬおいしさだ。
ビッキーもユーリも「おいしいね」と言い合いながら、ひたすら食べた。
食べ終わってから、ユーリが
「あーん、もっといろいろ食べたいけど、おなかがいっぱいになっちゃったー。」
「そうだな、今日はこれくらいにしとくか。」
とビッキー。
食事も終わってすこしゆっくりとくつろいでいると急に店内が暗くなり、
ピアノとベースでハッピーバースディの曲がはじまった。
江野と店員たちが「ハッピーバースディ」を歌いながら、キャンドルの灯ったプレートを持ってきてくれて、
二人のそばで歌う。そのお皿には小さな手作りケーキと「ハッピーバースディ・ユーリ」と書かれていた。
見知らぬお客様たちも歌って拍手してくれる。
「キャー、うれしいいいい。」
ビッキーもうれしそう。

そのようにして横浜駅イタリアンレストラン・エルスウェーニョでのビッキーとユーリの楽しい夜は過ぎていった。
そろそろ帰る時間だ。
「また来ようね」
【また来よう】
そういって二人は席を立った。

第1章おわり
20 × 20

横浜駅 イタリアン・レストラン・エルスウェーニョでのビッキーとユーリのグルメ探訪(一)2015.11.29

横浜駅 イタリアン・レストラン・エルスウェーニョでのビッキーとユーリのグルメ探訪(一)

 

ビッキーはユーリをさそって食事にゆくことに
選んだお店は横浜駅のすぐ近くにある、
イタリアン・レストラン・エルスウェーニョ。
できては消え、できては消える、
横浜駅周辺のレストランの中で
三十年近く続いているイタリアンレストラン。
横浜駅に降りて、二人で歩いて
五分ぐらいのところにエル・スウェーニョはある。
外側の白いしっくいの壁と入口の赤い天幕が
イタリアンらしい。大理石の段を踏んで入ると
アンティークなタンスと白いしっくいの壁、女神像、
テラコッタの床、オークの木の廊下と続く。
天井にガレーのすばらしいアンティークシャンデリアが吊り下がっている。
「すごい…」
店内はまだ見ない、
ビッキーはすこし気おくれしてきたが
ユーリをさそった手前
堂々とした態度をくずしちゃいけない。
「こんばんは」
「いらっしゃいませ!」
店員がむかえてくれて、
「お二人様ならこちらがよろしいでしょう」
と案内してくれた。
店内に入るとレジカウンターを越えて
まっすぐに歩く。
右手に長いバーカウンターがあり、
若いバーテンさんが
「いらっしゃいませ!」
と声をかけてくれる。
すごいバーカウンターだ。
カウンターは大きな一枚板の無垢の木でつくられ、
十人ぐらい並んで座れる長さだ。
その上にこれまた大きな丸太の無垢の梁が
渡されている。こんな大きな木は見たことがない。
バーカウンターの後ろは、各界のウイスキーやブランデーが並び、ビッキーは
名前は聞いたことがあるような気がするものもあるが見るもの初めて、もちろん飲んだこともなかった。
通路の左手は白いしっくいの壁が続き、
壁にはほこらが掘られ、ガレーのランプが置かれている。
壁の向こうも客席で個室のようだ。
進むにつれ暖炉を模した白い壁と
日干しレンガの壁のホール上の大きい
部屋があり、奥にグランドピアノが置かれていた。
ピアノだけではない。コントラバスやドラムが置かれていた。
トロンボーンも吊り下がっている。
ここはジャズライブスポットなのかも。
開店時間ちょうどなので、ミュージシャンも
お客さんもまだいなかった。
ホールは白い壁とレンガで囲まれ
床はオークの無垢の木の板で本物の木だ。
天井にはシャンデリアが輝いている。
しっくいの壁は、三十年の歳月を経て
すこしくすんだ色あいをかもし出し、
木のカウンターや木の床も小さなキズ跡は
あっても本物の木の姿と艶を持つ。
このお店は三十年間なんの改装もせず
三十年前と同じ姿で続いているのだ。
そのホールの手前の右手の個室に通された。
四人くらい座れる小さめの個室だ。
奥はアンティークのたんす家具が占め、
上にはヨーロッパ調の古いキャンドルスタンドや
ランプが置かれ、壁にはガレーのランプと
古いオートバイのペンダントがかけられている。
床の横にはヨーロッパの暖炉を形どった炉がつくられ
まきとすみがおかれ、
なおかつ、暖炉用の火ばしなどの用具があり、
グリルの上には銅や真鍮の鍋が置いてある。
椅子は曲線のフレームに花が彫られ
脚は優美なカーブを描き、
シートはバンドで吊り渡されている底づきの
しない座り心地のよいもので、古い布は錠で回りを
とめられている。こんなイスははじめてだ
ユーリはアンティークの雰囲気の部屋で
こんなイスに座っただけで幸せな気分になった。
「昔のヨーロッパに来たみたい。」
しばしその古典的雰囲気にひたって待っている。
そのうち白いものの混じった髪とひげのおじさんが
メニューを持ってやってきた。
「やぁこんばんは。いらっしゃい」と
人なつこく笑顔で声をかける。
店主のひとらしい。
ビッキーはすこし安心して、リラックスすることができた。
「きょうは、この娘の誕生日なんです。二人でゆっくり食事をしてお祝いしようと思ってきました。」
「そうですか。それはそれは
おめでとうございます。はたちぐらいですかな?」
ユーリはにっこり笑う。
「ではお祝いのシャンパンを、カヴァですが、
それと軽いオードブル、生ハムがいいかな。
さっそくお持ちしましょう。」
といって店主はさがっていった。
ユーリがその姿を目で追う。
「すてき…」
店主の江野はイタリアンレストラン
エル・スウェーニョを開店して以来、
三十年  一日たりとも休まず
店を開け厨房に立つ。
江野は病気というものになったことがない。
よって薬というものを飲んだことがない。
よって医者というものの世話になったことがない。
カゼもひかない。
マックというものを食べたことがない。
コンビニ弁当やジャンクフードを食べない。
子供の頃はおふくろの手料理、
大人になってからは自分のつくるものと
女房のつくるもの以外はほとんど食べない。
だいいち江野は一日に一食しか食べない。
週に六度しか食事をしない。
週に一度は断食するのだ。
江野は味覚の追求と美食の提供を
職業としながら
自分が美食を楽しむことをいましめていた。
じぶんは生産者であり、創作者であり、
提供する人間である。
それと楽しむのは、お客様である。
それによって自分は生かされている。
それに身を捧げなければ。
ビッキーとユーリのテーブルに
冷たいグラスに注がれた冷たいカヴァが運ばれた。
「お誕生日おめでとう」
「ありがとう」
「乾杯!!」
すきりした苦みの中にほのかに甘みがのぞくシュワシュワ感。心を高揚させる。
発泡栓のワインを総称してスパークリングワインと呼ぶ。
白とロゼの二種類が中心だ。
スパークリングワインの製法として、
ワインをビンにつめたのち熟成して発酵する。
ビンの中に炭酸ガスを注入する方法と
二つの方法がある。
フランス人のシャンパーニュ地方の特有のビンづめ
発泡ワインのことをシャンパンと呼び、高級かつ
世界中で人気の高いスパークリングワインの代表である。
修道僧のドンペリヨンは最高のシャンパンを生み出した。
スペインでは同じ製法でつくりカヴァと呼ばれる。
イタリアンはフランチャコルタあるいはスプマンテ。
後で炭酸ガスを注入するタイプのものは
低価格で出まわっている。
生ハムが来た。

イタリアンレストラン・エルスウェーニョは
生ハムが四種類あり、どれもおいしそうだが、
まずこれはプロシュート・デル・パルマ、
パルマ産の生ハム。イタリアでは生ハムを
プロシュートクルードと呼びプロシュートは乾燥させる。
クルードは火を通さないという意味だ。
ユーリは一切れ口に入れて、ゆっくり噛む、
「おいしい」顔がほころんだ。
江野は必ずオーダーが来てから、生ハムのおおきなかたまりから
包丁で一枚一枚切り取る。
スライスして時間がたつと表面が空気に触れ、
酸化して味がおちるのだ。
江野の若い時には、生ハムは日本には輸入されていなかった。
厚生省が衛生上の理由で輸入を禁止していたのだ。
ぜひともあのすばらし味の生ハムを
日本のお客様に食べてもらいたいものだと長年、願っていた。
生ハムは古代ローマ時代からつくられていた。
つくられるのはイタリアとスペインだけである。
なぜかは知られていない。
イタリアとスペインのあの地方だけの微生物が最高の生ハムをつくりあげることができるかもしれない。
イタリアのエミリア・ロマーニア州を流れるポー川の流域が一番の生ハムの産地である。
アペニン山脈から吹き降ろす風と地形、川とで
霧が濃い特有の気候。古代ローマ帝国からの
長い歴史、伝統、民族の気質、嗜好などがからみあい
パルマを中心とするこの地方は美食のメッカである。
パルミジャーノ・レッジャーノという最高のチーズの産地でもある。
二十世紀半ばくらいまでは生ハムは各家庭で
主婦が作るものであった。
日本の漬物と同じで家の味というものであった。
冬に豚を一匹解体し各部位でさまざまな食材をつくる。
ソーセージやベーコン、パンチェッタ、サラミなどなど
一年間の保存食なのだ。
後ろ足が生ハムになる。
春になるまで足を桶の中で丹念に塩で揉み込む。
春にいつもの日陰で風通しのよい梁につるす。
あとは来年のはるまで待つだけだ。
自然の力が生ハムを熟成させる。
夏の間はつるされた足からポタポタ塩水がしたたり落ちる。
古い家では何百年もかけてその塩水が床の
テラコッタに穴をあけ窪ませる。
「あーん、あと三種類も生ハムがあるよ。
どれも食べたーい。」
ユーリ言うのを、ビッキーは制して、
「まてまて、次回の楽しみにとっておこう」
「次は赤ワインとサラダがオードブル、あとはピザか
パスタがいいかな?」
「どれもおいしそう、このトスカーナピザというのは聞き慣れないわね。たのんでみようか?」
「そうだな、すみませーん!」
店員が来た。
「赤ワインのボトルおすすめ、と
モッツァレラ・生チーズと完熟トマト、
それからトスカーナピザをお願いします。」
イタリアン・レストラン・エルスウェーニョと銘打ってはいるが
ワインはイタリアにこだわらない。
各国のワインを江野の判断で仕入れる。
そのつど気に入ったワインをおすすめにしている。
ワインには、フランス、イタリア、スペインが中心的産地
ではあるが、今ではチリやアルゼンチン、ブラジル
オーストリア、ニュージーランド、南アフリカなどの南半球のワインの他
アメリカ・カリフォルニアワインなども高い評価を得ているし
そのうえ古代ワインのウクライナや中国の奥地や
アルジェリア、モロッコなどのアフリカ産も新しく注目されている。
日本のワインもすばらしいものがある。
日本では甲府、勝沼地方が伝統的ワイン産地であるが、いまや、日本の各地方でワインがつくられている。
江野の故郷九州安心院ワインが
高く評価されたのは誇らしい
ぶどうの品種にもお客様は知識とこだわりを持っている。
赤では、カベルネ・ソービニョン種、メルロー種、ピノノワール種、シラー種
が中心でイタリアのサンジャベーゼ種や、バルベーラ種
スペインのテンプラニーニョ種も有名だ
チリのカルメネール種は、十九世紀にヨーロッパで
絶滅した品種であったが、奇跡的にチリで生延びて
現代にいたるぶどうである。
白ワインはシャルドネ種、ソービニヨンブラン種、
イタリアのトレビアーノ種、ドイツのリーステング種が有名である。
ワインの歴史はとてつもなく遠い。
古代ギリシャ神話では、デュオニュソス
別名、バッカスという酒の神が人間に
ぶどうと酒を授けた。
日本の神話ではヤマダノオロチを退治する
スサノオが使った酒は、山ぶどう種と思われる。
世界各地にワインに関する神話、伝統が伝えられる。
フランスでは、伝統的にソムリエという職業があり、
類まれなる味覚とワイン知識の持ち主が、
ワインを選び提供する。
今ではソムリエ資格は世界中に広がり
ワインマニアのあこがれである。
江野は長年ワインを扱っているが、
知識よりも、味覚、感覚、感性を大事にしている。
常に感覚を研ぎすまさなくては、
放っておくとすぐにくもってしまう。
ユーリたちのテーブルに、江野が持ってきたワインは
イタリアトスカーナのキャンティであった。
「トスカーナ!」美しく歴史的伝統的地域だ。
先進的感覚のイタリアの中でも特に、
先進的かつ伝統的。
イタリア人が先進的であるか?
古来イタリア、あるいはローマ人ほど
世界の文化を引っぱっていた民族はない。
荒野に生まれたイエスキリストの教えを
世界中に広めたのはローマである。

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