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後編2015.11.29

後編
ただ二十世紀の【時は金なり】という産業革命の波に乗りたくなかっただけである。
聖人フランチェスコ、ダンテ、レオナルド・ダ・ビンチ、ミケランジェロといった才能もこの地方で生まれた。
ワイン、オリーブ油などの最高品と極上の料理を輩出する。
ビッキーとユーリのテーブルで、江野がトスカーナの話をまじえながら慣れた手つきでキャンティを開ける。
ユーリに向かって再び
「おめでとうございます。」と言ってグラスに注ぐ。
ユーリはニッコリと「ありがとうございます」と答えた。
そしてビッキーのグラスにも注ぐ。
二人はもう一度「乾杯!」とグラスを合わせてグラスを口に運んだ。
ゆっくりとワインを味わってから、二人同時に「おいしい・・・」と口を揃える。
三人ともニッコリと顔を見合わせる。

モッツアレラチーズと完熟トマトの一皿が来た。
緑のルッコラに囲まれて、真っ赤なトマトと真っ白なチーズがまるでイタリアの国旗のように。
ナポリ沖のカプリ島にちなんでカプレーゼと呼ばれる。
モッツアレラチーズは牛の乳からつくるラッテと水牛の乳からつくるプッファラの二種類があり、
いずれも熟成の残る生チーズで冷水の中で保管される。
イタリアから空輸されたこのモッツアレラ、ブッフォラはコシのある独特の味と香りを持つ。
真っ赤に完熟したトマトとお湯でさっとゆでて湯むきしたトマトといっしょに独自のドレッシングで和えたこの一皿は
チーズとトマトのおいしさでお互いをひきたてあい、バジルの香りも相まって、夏の地中海を思わせる味だ。
【イタリアの味ね】
とユーリ。
「うん、おいしい」
とビッキー
「イタリアに行ってみたいわ」

江野が愛嬌を持って「カメリーナ」と呼ぶ
トスカーナの古典的パン。
水と小麦粉だけでつくり、かつては村の共同釜で週一度だけ焼かれ、人々に愛されたカメリーナ。
ゴルジーニ村のカルロは今でもその手法でトスカーナパンを焼いている。
料理名人アンジェロも。
アンジェロは日曜日の朝、自分のレストランの中庭につくった「フォルノ」で
かつてのような伝統的手法にのっとってトスカーナパンを焼く。
そしてお昼頃、そのフォルノの火でいくつかピザを焼いてくれるそうだ。
知る人ぞ知るそのピザが最もおいしいといわれる。
どのようなピザだろう?
江野は想像し。三十年それを追い求めている。

今やナポリのみならず世界中で
日本中で焼かれているナポリ風ピザ。
かつて、ナポリを訪れたマルゲリータ王女が「庶民の食べるものを」と求めたのに対し、
トマトとモッツアレラチーズとバジルのナポリピザを供したことがピザマルゲリータの由来である。
非常な高温で、短時間で焼き上げ
そのモチモチした柔らかい食感で人気が高いが、「小麦粉が火とたわむれる時間が短すぎる」と江野は思う。
「カメリーナが喜ぶ温度でもなさそうだ」
カメリーナは水と火と時間によって
美しく、おいしく生まれかわる。
ビッキーとユーリのテーブルに置かれたピザは大きめのアンダーソーサーの上に焼く熱せられた皿の上でジュージューと音をたてていた。
やけどしないように一切をとってふーふーと息を吹きかけてすこし冷まし口へ運ぶ。
パリっとした食感がとてもいい。小麦粉の香ばしさほんのりとした甘みが広がる。
「こんなピザ初めて」
とユーリ

トマトのラグーソースとチーズのこくのあるおいしさがカメリーナ(ピザ生地)と重なって
このうえないハーモニーをかなでる。
「こんなおいしいピザは初めてだ」
とビッキーも思わず言葉にした。

江野の小さい頃、おじいさんたちは山で炭焼きをしていた。おかあさんはかまどで薪でごはんを焚き、おふろは薪でたく五右衛門風呂であった。
大きな鍋のようなもので丸い木の枝に乗ってお湯につかる。
江野は毎日夕方、実を起こし、薪をくべておふろを焼く。
暗い夜、薪の燃える火をみているのが好きだった。
炎と対話しているような気がした。
今も炎と対話している。
窯の中でカメリーナと炭火がたわむれ交観する。
カメリーナは徐々においしく美しく焼き上がる。
どういう火の状態がカメリーナにとっていちばんいいのか?
それを追及して三十年になる。
まだまだ続く。

横浜駅の近くのイタリアンレストラン・エルスウェーニョでのビッキーとユーリのお誕生日食事会はまだまだ続く。
お客様もだいぶ来店してきて、少しにぎやかになってきた。
やがて女性のピアニストと男性のベース奏者によるジャズの生演奏が始まった。
心地よいピアノの音、ベースのリズム。「星に願いを」を演奏している。ユーリはこの曲が大好きだ。
イタリアンワインキャンティとおいしいお料理とジャズの演奏でビッキーもユーリも心地よい幸せな気分だ。
まして二人はお互いが大好きな若い男女である。
「もう一品頼もうか
パスタがいいだろう。」
とビッキー
「このパルミジャーノのクリームパスタがいいわ。」
パスタはイタリアの代表料理である。
イタリアの南の地方では小麦粉のドウー(練ったもの)から細長い糸状に抽出して日干して乾燥させたスパゲッティが古くから食べられていた。
イタリア料理は二十世紀の初めころから、世界大戦後にかけて貧しいイタリア人のアメリカ移住によって、
まずアメリカで広まり、育ち、それから世界中に広まる。
日本には戦後アメリカ経由で広まる。
それからスパゲッティは日本でもおなじみの食べものになった。
ミートスパゲッティとナポリタンスパゲッティが喫茶店や食堂の定番メニューだった。
やがて海外旅行が開禁され、多くの人がイタリアやヨーロッパの文化料理に接して、本場イタリアの料理が直接日本にもたらされた。
ペペロンチーノ、ボンゴレー、ぺスカトーレ、アラビアータ、カルボナーラ、ジェノベーゼ…無限にある。
イタリアの人たちはスパゲッティへの思い入れが特に深く各人がおのおの自分の最良のスパゲッティのレシピと、ゆでかげんを持っているのである。

南の地方の乾麺とトマトソースのスパゲッティに対して、北の地方では生のパスタが中心で主にクリームソースとチーズで合わせられる。
硬質小麦のデュラム・セモリナを水で練って、そばやうどんのように打って切るのである。
そしてゆでる。
水は料理にとってもっとも大切なものである。
水の味、その質が料理を大きく左右する。
地域や地質によって水の高度、ミネラル分、おいしさが違ってくる。
それだけではない。水の構造によっても味が変わってくる。
よく雪解けの谷の水がおいしいと言われる。
お酒をつくるのに最適だと。
理由はこうである。
水はH2Oの分子がいくつか集まって房になった状態にあり、これをクラスターと呼ぶ。
とどまっている水、静止している水、池や海の水はクラスターがだんだん大きくなる。ほとばしる水はクラスターが砕かれて小さくなる。
水が水蒸気になる時、クラスターは最小だ。
それが空で凍る。クラスターは最小のままだ。
雪になって積もる。とけて最小のまま水にもどる。
その最小のクラスターの状態の水が最もピュアでおいしく物質を良く溶かし、酒や料理をひきたてる。
イタリアンレストラン・エルスウェーニョは、当時まだ珍しい逆浸透膜の浄水器をいちはやく設え、料理の水として使ってきた。
水道水から塩素や農薬やウランをとりのぞくだけではない。
水のクラスターをその細かい膜でできるだけ小さくするのだ。

ビッキーとユーリの席に運ばれたパスタは
江野が打って切ったパスタをゆであげ、熱い生クリームであえて皿に盛ったところをパルミジャーノチーズを削り、
ふわりと雪のように白く積もらせていた。
パルミジャーノの香りがすばらしい。
その水でゆでられた生パスタのモチモチとした味が絶妙の塩かげんと生クリームと交わり、
それに削りたてのフレッシュなパルミジャーノの香りがからまって、えもいわれぬおいしさだ。
ビッキーもユーリも「おいしいね」と言い合いながら、ひたすら食べた。
食べ終わってから、ユーリが
「あーん、もっといろいろ食べたいけど、おなかがいっぱいになっちゃったー。」
「そうだな、今日はこれくらいにしとくか。」
とビッキー。
食事も終わってすこしゆっくりとくつろいでいると急に店内が暗くなり、
ピアノとベースでハッピーバースディの曲がはじまった。
江野と店員たちが「ハッピーバースディ」を歌いながら、キャンドルの灯ったプレートを持ってきてくれて、
二人のそばで歌う。そのお皿には小さな手作りケーキと「ハッピーバースディ・ユーリ」と書かれていた。
見知らぬお客様たちも歌って拍手してくれる。
「キャー、うれしいいいい。」
ビッキーもうれしそう。

そのようにして横浜駅イタリアンレストラン・エルスウェーニョでのビッキーとユーリの楽しい夜は過ぎていった。
そろそろ帰る時間だ。
「また来ようね」
【また来よう】
そういって二人は席を立った。

第1章おわり
20 × 20

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