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エル・スウェーニョ 横浜駅 ジャズアンドイタリアンレストラン ビッキーの論説 ギリシャ神話 第二章 神々の概観2016.02.26

  1. エル・スウェーニョ 横浜駅 ジャズアンドイタリアンレストラン ビッキーの論説 ギリシャ神話 第二章 神々の概観

前篇

さて、それでは、ギリシャの神々というのはどのようなものであったか、これから具体的にみていこう。
まず、主神として、また雷神としてゼウスが天を支配する。
ゼウスはもっとも偉大とされ、神々もゼウスにさからうことはできない。
ゼウスの兄弟で、ポセイドンは海を、ハデス(プルートン)は地下の冥界をそれぞれ支配する。
ヘラはゼウスの妻で、結婚の守り神である。
ゼウスの子供たちでは、知恵と技術の女神アテナ、ゼウスの伝令役のヘルメス、弓や音楽の神アポロン、愛と美の女神アフロディテ、狩猟の女神アルテミスなどがいる。
そのほかには、酒と演劇の神デュオニュソス、農耕の女神デメテル、巨神プロメテウスなどが有名である。
これらの神々は、いわば特定の性格を持ち、ある特定の分野を司る。
それに対して、自然現象そのものともいえる、ウラノス(天)、ガイア(大地)、ポントス(黒海)、ニュクス(夜)などや、また、死(タナトス)、睡眠(ヒュプノス)、闘争(エリス)、運命(モイラ)、恥(アイドース)といったような、抽象名詞がそのまま神となったものも多くある。
さらに、泉や森の木に宿る美しい妖精ニンフ(ニュンペー)、下半身山羊の姿のサテュロス、詩の女神ムーサ(ミューズ)などもある種の神とされている。
このほかにも神と名のつくものは数多くあるが、神話で活躍するのは、主に、ゼウスを中心とするオリュンポスの神々である。
ところで、このように神々を数えあげてゆくと、それらの多くが自然と関わりを持っているのがわかる。
ウラノス(天)やガイア(大地)のごとく、自然現象そのものといったものはもとより、エリス(闘争)、モイラ(運命)なおの抽象名詞の神も、人の力のおよばない自然の力とみなされているわけだし、オリュンポスの神々では、ゼウスは雷電や嵐、ポセイドンは海と自信、ハデスは地底と死の世界、アポロンは月桂樹を持ち、ヘルメスと共に牧場などと関係があるし、アフロディテは花咲きほこる春の日が似合い、アルテミスは神秘の森の中に住む。
ニンフなどは、泉や森の妖精として、いちばん自然の生気を体現する存在である。
実際、主なギリシャの神々のうちで、その自然のあるいは風土と関係のないものはほとんどないくらいなのである。
和辻哲郎「風土」によると、人格的な唯一神の信仰が成立したのは、砂漠の風土と関係があり、死せる砂漠には自然の恵みなどなく、自然と闘ってゆく人間集団にこそ生命の原理があり、それゆえに、自然とは直接関係ない人格的な神が出現する。
それに対して、モンスーン地域では、人々は自然の恵みに甘え、自然の諸部分を神格化するので、多数教となる。
ギリシャの自然は、それほど恵み深いわけではないが、砂漠のような死の世界ではなく、人々の生活と自然は、非常に密着していたはずである。
そうして、ギリシャの風土と人間との関係は、牧歌的であるといえるだろう。
ギリシャ神話を読んだことのある人ならだれでも、その牧歌的な雰囲気を感じることができるであろう。
ギリシャが海に囲まれているわりに、ギリシャ神話には、漁業関係の話は少なく、狩猟や牧畜や農業に関係する物語が多い。
それは、元来ギリシャ人が海のないところから来たからであると考えられるところであるが、神話の中でも、特に牧畜に関する神話が主流を占めているのは、彼らが牧畜民であったことの表れであろう。
また牧人は、家畜と共に野や山で暮らすので、自然の親しみが深いし、自由な空想に耽る時間も多いので、神話をつくることに好都合であったと思われる。
ここで、最も牧人的な神、ヘルメスとアポロンの物語を紹介してみよう。
ヘルメスは、羽のはえたサンダルをはき、風よりも早く走ることができ、ゼウスの使者として活躍する一方、死者を冥界へ送るともいわれている。
ところがこのヘルメスは、泥棒の神ともされているのである。
ヘルメスはゼウスの息子であるが、生まれて半日もするとはいだして、亀をつかまえ、その甲羅に糸を張って堅琴を発明した。
その日の夜には、遠くまで出かけていって、アポロンの牛を五十頭盗み出し、足跡がさかさにつくように、牛を後ろ向きに追い立てて連れて帰り、そのうち二頭を焼いて食べ、知らん顔して赤ん坊らしく寝ていた。
アポロンはさんざん牛を捜して、ヘルメスのところへ来るが、ヘルメスの堅琴を聞くと怒りもとけ、二人は和解して、堅琴と牛を交換し、以後アポロンは音楽の神となったというのである。
この話はホメロスの讃歌集にあるものであるが、完全に牧民の生活を描き出しているといえよう。
そうしてまた、非常に空想的で、洗練されており、聴く人が信じなくてもかまわないというくらい興味本位に作られている。
こういう牧畜民の空想による神話がギリシャ神話の中で主流となって、牧歌的な雰囲気を生み出しているのだろう。
神々はまた、すべて男性か女性のいずれかであり、まるで人間のごとく、生殖や愛欲の虜となる場合がある。
例えば、ゼウスはヘラと結婚しているにもかかわらず、その多くの浮気が神話の主要な部分を占める。
ハデスはデメテルの娘ペルセフォネを掠奪し、ポセイドンはデメテルを追いかける。
アポロンはダフネに恋し、アフロディテとアルテミスは青年ヒッポリュトスを奪い合うかのようである。
このような例は数えきれないくらいあり、ギリシャ神話の間には、こういう愛欲の雰囲気が満ちており、それが神話全体の顕著な特色となっている。
これは、太古にガイアが生まれた時に出現したエロースの力とされ、その力は最初からこの世界を支配していたのである。
万物はエロースの媒介によって生み出されるという、いわば生物学的な世界観が、ここには貫かれている。
しかしながら、エロースは、後にアフロディテの息子として、羽根のある子供の姿、我々にはキューピッドとして知られている姿で、恋の矢をもって再び神話に登場するのであるが、このキューピッドに代表されるようななまめかしく、少女趣味的な恋愛場面の多い神話は、ローマ時代に、特にオウィディウスの手によって、メタフォルモセス(転身譚)として作られ、現代人にもこちらのほうが親しみが多いかもしれないが、本来のギリシャ神話はそれとは性格が異なるものであった。
というのは、恋愛というふうにこまごまと脚色された部分は装飾的なものにすぎず、むしろギリシャ神話は、その系図や子孫の方を重要視していたのではないかと思われるのである。
先のゼウスにしても、浮気による子供たちは、デュオニュソス、ヘラクレス、ペルセウスなど非常に重要なものばかりであり、それは、ゼウスのたんなる性欲の問題ではとどまらず、いわゆる生の力エロースによる、自然の理にかなった行為とみることができる。
これらのことから考えられることは、一般にいわれている、ギリシャの神々の性的放縦というべき印象は、ヘレニズム時代、あるいはローマ時代に作り出されたものが多く、ギリシャ神話のある一側面を強調したものであり、これが後代、ギリシャ神話の本質とみなされてしまい、ゆがめられた印象を我々は持ったのではないかということである。

つづく

エル・スウェーニョ 横浜駅 ジャズアンドイタリアンレストランでの ビッキーとユーリのグルメ探訪ひな祭り(十九話)2016.02.25

エル・スウェーニョ 横浜駅 ジャズアンドイタリアンレストランでの ビッキーとユーリのグルメ探訪ひな祭り(十九話)

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もうすぐ春だ。
まだまだ寒いとはいえ、日の陽光もだんだん強くなってきている。

もうすぐ桃の花が咲く。
三月三日は雛祭り。
ユーリも子供のころは家で雛人形を飾ってもらったものだ。
横浜駅イタリアン・レストラン・エル・スウェーニョにビッキーとユーリは食事に来た。
いつもの女性が迎えてくれる。
「こんばんは、いらっしゃい。」
「こんばんは。」
「ユーリさん、春らしい服装でお似合いですよ。」
「こんばんは、ありがとう。」
ユーリは今夜、薄い桃色のワンピースを着ている。
テーブルにつくと江野さんが挨拶に来た。
「いらっしゃい。ユーリちゃん、春めいた感じでかわいいね。もう春だね。」
「ありがとう。やっぱり春はいいですね。」
「今日は何にしますか?」
「赤ワインとオードブルそれからパスタにしようかな。」
江野が持ってきて開けてくれたのは、イタリアのローマのワインでその名もローマロッソ。
グラスに注ぐと軽やかな柔らかい香りが満ちる。
一口味わってみるとその豊かな、とろけるような滑らかな味わいはまさに春。
「おいしいですね。とても柔らかい深い味わいだ。」
とビッキーが言う。
「おいしい。」
とユーリもニッコリ。
生ハムが来た。

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クラッテロ・ディ・ズィベロ、幻のハムだ。
この生ハムも柔らかく深い味わいで、何か幻想的な世界を想起させる。
今日のおまかせサラダは、サニーカールとルッコラの緑野菜に、
トマトとモッツアレラチーズのカップレーゼ、
春キャベツとセロリ、パプリカの煮込み野菜だ。
「おいしいぃ。春の感じね。」
とユーリがバクバク食べながら言う。
今日のパスタはトマトとマスカルポーネのクリームパスタ。
テュラム・セモリナ粉の手打ちの麺を、たっぷりのあのおいしい水でさらっとゆであげ、
トマトとマスカルポーネのチーズと生クリームのあたためたソースであえる。
「春の日差しのような柔らかく暖かい感じがいいね。」
とビッキーとユーリも顔を見合わせてにっこりしながらパスタを味わった。

 

ビッキーとユーリのグルメ探訪 第十九話 おわり

ビッキーとユーリのユルメ探訪 二十一話2016.02.20

ビッキーとユーリのユルメ探訪 二十一話

雲のように白く、
羽毛ぶとんのように柔らかく
電気毛布のように暖かく、
ケーキのよい香りの空飛ぶ円パン・カメリーナは
ビッキーとユーリと役行者を乗せてフワフワ飛んでいく。
広大な大地、ガイアはどこまでも続く。
はるか向こうに高い山が見えた。
オリュンポスの山だ。
だんだん近づく、
山の上に神殿がある。
カメリーナはそこに着陸し、
ビッキーとユーリはオリュンポス神殿の入口に降り立った。
「しばらくここですごすといい。
わしは五台山に用があるので、
ちょっと行ってくる。またあとでむかえに来るよ。」
と言い残して役行者は雲のようなカメリーナと飛んでいった。
オリュンポス神殿の入口でニュンフ(妖精)たちが
ビッキーとユーリを出向かえてくれて、
神殿の中へと案内してくれた。
とてつもなく大きくて豪華な建物だ。
大広間の大テーブルの中央に
ゼウスと妻のヘラ横に娘のアテナ、アフロディテ、アルテミスの女神たち
一方はヘルメス、アポロン、ディオニックスの息子たちが並んで座っていた。
「やあ、ビッキー君、ユーリちゃん、
はるばる遠いところをよく来てくれた。
私の家族のことは知っているね?
そこに掛けてゆっくりと神々の酒ネクトルと食事を楽しんでくれ。
おっとお酒はまだだめだな。
ネクトルのうちノンアルコールのものを持ってこさせよう。
料理は最高のシェフの神が腕によりをかけてつくるものだ
ゆっくり味わってくれたまえ。」
そういってゼウスたち神々といっしょに歓談しながら
ビッキーとユーリはおいしいジュースを飲んで
おいしい料理をバクバク食べて、楽しい宴をすごした。

(ビッキーとユーリのユルメ探訪 二十一話 おわり)

ビッキーとユーリのユルメ探訪 二十話2016.02.20

  1. ビッキーとユーリのユルメ探訪 二十話雲のように白く、
    羽毛ぶとんのように柔らかく、
    電気毛布のように暖かく、
    ケーキのよい香りの空飛ぶ円パン・カメリーナは
  2. ビッキーとユーリと役行者を乗せてフワフワと飛んでゆく。
    下は広大な大地、ガイアがどこまでも続く。
    世界の初源は母なるガイアであり、世界の果てまでガイアは続く。
    ガイアはまずディアミールとアトラスを生み、
    天を担がせ世界の空間を造った。
    次にガイアは海を生んだ。
    海は大地に囲まれた池である。
    それがどんなに大きくてもガイアがそれを囲む。
    海が生命の源であることに変わりない。
    ガイアの子宮なのだ。
    ガイアから生まれたティディスは、海の女神としてアラル海に住んでいた。
    生命に満ちあふれていたアラル海と
  3. それを囲む緑の地域は豊かで平和な日々が続いた。
    ある時、赤い巨人族が現われた。
    赤い巨人族はアラル海に流れ込む大河の上流に住みついて、
  4. 川の水を飲みほし近くの綿花畑にまきちらした。
    自分たちの畑のためだけに川の水を全部使いつくしたのだ。
    アラル海に一滴の水をも流れ込まなくなった。
    広大なアラル海は年々縮小した。
    緑あふれる岸部はどんどん砂漠となってゆく。
    砂漠に打ち捨てられた船。
    朽ち果てて置き去りにされた船。
    水ははるか向こうへ行ってしまった。
    かつて水が満ち満ちて、
    緑と生命のあふれていた場所が一滴の水もなくなり
    砂漠となってしまった。
    なんというおろかで、狂暴な赤い巨人族。
    そこに住んでいた魚や動物はみんな死んでしまった。
    アラル海の女神ティディスも困って
    ポセイドンのところへいそうろうする身となってしまった。
    ポセイドンとゼウスも困ってティディスを英雄ペレウスに嫁がせることにした。
    英雄とはいえ人間の男と結婚するなど
    女神としては許せないことであったが、
    事情が事情であり、ティディスは泣く泣く
    ペレウスと結婚したのだった。
    生まれた男の子はアキレウスと名づけられた。
    「この子は長く生きられないだろう」
    という神託を受けたので
    母は赤ん坊のアキレウスを不死の水につけた。
    両足のかかとをつかんで逆さまに水につけた。
    かかとだけは水につからなかったのだ。
    そして母はアキレウスを女の子として隠して育てた。
    戦いにまき込まれないようにという母の心であった。
    しかし運命の女神は
    アキレウスをそっとしておいてはくれなかった。
    ————————————————————-
    空飛ぶ円バンカメリーナは
    ビッキーとユーリと役行者を乗せてフワフワ飛んでゆく。
    かつてアラル海と呼ばれ 広大な湖があったところは
    砂漠の死の世界が広がっていた。
    (ビッキーとユーリのユルメ探訪 二十話 おわり)

エルスウェーニョ(横浜駅イタリアンレストラン)マスターファンタジー ビッキーとユーリのユルメ探訪(192016.02.19

エルスウェーニョ(横浜駅イタリアンレストラン)マスターファンタジー
ビッキーとユーリのユルメ探訪(19)

雲のように白く、
羽根ぶとんのように柔らかく
電気毛布のように暖かく、
ケーキのいい香りの空飛ぶ円パン・カメリーナは
ビッキーとユーリと役行者をのせて、ふわふわと飛んでゆく。
平原のはるか向こうに岩がそそり立っている。
遠くのどこからでも見えるくらい大きい。
だんだん近づいてくる。
だんだん大きくなっている。
天を貫くようにまっすぐ高くそびえ立っている。
ディアミール巨神だ。
ディアミールは山々の王。
「こんにちは。ディアミール巨神さん。」
「やあ、ビッキー君にユーリちゃん、役行者殿。
それからカメリーナ姫。
カメリーナ姫、久しぶりにお会いしたな。
アレキサンダーグレイトとご一緒の時以来かな。」
「ディアミール巨神もおかわりなく、
お元気そうですね。」
「わたしは変わらんよ。
遠い遠い昔から、全く変わらない。
その昔、世界の始まる時、
母なるガイアはまず私を生んだ。
次に弟のアトラス。
母は私とアトラスに東と西で天をかつがせて、大地と天の間に世界を生み出したのだ。
ガイアは次々と神々と生命を産み
世界を満たしていった。
クロノスやヒガンテスといった、巨神、巨人、タイタン族、
ゼウスたちオリンポスの神々、英雄たち、
人間、動物、草木、虫たち。
世界にはいろいろなことが起こった。
その永い永い時間の間、私とアトラスはじっと動かず、
天を肩にかついでささえてきたのだ。
私は何も変わらない。
ここにあるものは、岩、水、吹き荒れる風のみだ。」
「おさびしいことでしょう」
とカメリーナがディアミールの顔を覗き込む。
「相変わらず美しいのう。姫は。
心もやさしい。
悠久の時間も一瞬のごとしだ。
だが、最近になっておもしろいことが起こった。
長い年月をかけて人間どもが知能を持ち始めた。
人間どもはいろいろなものを知りたがり得たがるようになった。
あなたといっしょにここまで来たアレキサンダーグレイトのように。
特にゼウスたちがいる西の方の人間。
エウロペ姫の子供たちは知というものを信望し、この世界のすべてを知りたがる。
いろいろなものを発明し、いろいろなところへ行きたがる。
そしてこれまで人間が足を踏み入れたことのない、
私のまわりの地域までやってきて、冒険したり地図をつくったりしている。
そしてあろうことか、私を登ろうという男まで現れたのだ。
エウロペ(ヨーロッパ)の子供たちの大胆で野方図ないくつかの男たちは大地を駆け抜け大洋を渡り、
新大陸へあがり、未開の地へ踏み入り、
血の欲求のおもむくまま世界中を旅した。
その中で山に登ることに情熱を持つ男たちはアルプスのモンブランやマッターホルンやアイガーなどに登ったあと、
今度は我々の地域に目を向けた。
そして私をはじめ兄弟たちの高さを量り、
名をつけて、どうしても登りたいと熱望したのだ。

岩と水と烈風だけの我々に登りたいだと?
身の程知らずとはこのことだ。
どれほどの寒さかわかっているのか。
どれほど高いかわかっているのか。
8,000メートルとのことだ。
空気も薄い。
生きていられると思っているのか。
私の名をナンガ・バルバードと名づけ、
最初にやってきたのは山男の中の山男・ママリだった。
十九世紀のおわりのころだ。
勇猛不適にママリは私の岩壁にとりついて
上まで登ろうとした。その勇気は認める。
が、力尽きて死んだ。
それから30年以上も私を登れるという考えは誰一人持ちえなかった。
妹のチョモランマをエベレストと名づけ
世界で最も高いとわかって、イギリスの山男たちがやってきた。
酸素の薄い中ノートンは頂上の直下まで。
熱血の山男マロリーは頂上に足を乗せる瞬間に吹き飛ばされた。1920年ころのことだ。
それからはイギリスは他の国に先がけ
世界最高の高さのエベレストの頂上に到達しようとやっきになった。
毎年毎年遠征隊が来る。
莫大な量の物資と隊員やポーター、金がつぎこまれた。
装備も進化し酸素マスクも使われた。
だがノートンやマロリー以上には進めなかった。
山男たちの中には酸素マスクを使うことはフェアーではないという意見も出た。
イギリスのいちばんの血に負けてはならじと
イタリアやスイス、フランス、ドイツ、アメリカが国をあげて遠征隊を送り込んできた。
8000メートルの高さにまず一番に到達するのはどの国かということが関心となったのだ。
ナンガバルバード(ディアミール)と呼ばれた私にドイツのメルクルたちが挑戦して来た。
ナチスドイツの国威高揚の気運に押されて、
何百人もの人員と物資と金が使われた。
私の南壁と北壁は下から上まで一枚の壁となって
とても人間の取り付けるものではない。
が東は長い氷河が続いている。
メルクルたちはこのとてつもない
長い氷河にキャンプをいくつも設営し
多くの人員と物資を運び上げながら、だんだん上の方へ上がってきた。
時間はかかるが、確実に上がってきて稜線まできることが出来た。

頂上までもう一息である。物量作戦の勝利かとも思われた。
最終キャンプにメルクルたち数人の隊員とシェルパがたどりついた。
明日の全員の頂上到達はまちがいないと思われた。
しかしながら夜半過ぎから暴風雪となり、彼らは閉じ込められた。

何日も降り込められ、撤退を決め山を下る時にメルクルらほとんどの人たちが深い雪の中で死んでしまった。
以来私のことを魔の山と呼ぶようになった。
1937年にはバウアー率いるドイツヒマラヤ財団による大遠征隊が再挑戦して来た。
そして第四キャンプに眠る十二名の隊員とシェルパを巨大雪崩が一瞬にして埋め尽くした。
そうしてドイツの空軍輸送機まで出動して
国を挙げての8000メートルの頂上に国旗を掲げようという試みはことごとく失敗し
多くの犠牲者を重ねた。他の国も同じである。
第二次世界大戦がはじまり、遠征は中断された。
ビッキー君にユーリちゃん私が故意に彼らに怒りをぶつけて追い払ったと思わないでくれ
あれは自然のなりゆき運命のなりゆきにすぎん。

だが人間どもも反省しなければならん
多くの金、化学物質と技術を投入すればなんでもでき、全てを得られると考えることが
そもそも間違っている。
その点、私の頂上まで初めてやってきたヘルマン・ブールはちがっていた。
彼は不遇の勇気の男だ。
1953年遠征隊は撤退を命じたが
ブールは天候が回復するのを見極めて、
単独で山頂をめざした。ボンベもなく装備もなく
孤独と疲労と飢えと寒さの中でブールはよじ登り、
山頂に立ち生と死の境を40時間以上もさまよいながら生還した。まさに奇跡の登頂である。
ブールは少し前にアンナブルナとエベレストの山頂にも人が立った。
やがて先進の装備とボンベが
登頂をより容易にしていった。

だが私の姿、形は他の山とは違って垂直の岩壁なのでなかなか登れるものではない。
二回目にやってきたトニーも命知らずの山男だった。
彼らは北壁ディアミール壁を登って山頂までたどりついたが
仲間が滑落死し、トニーが
死の淵から生きて帰ったのは56時間後であった。
信じられないような登頂劇は1962年のことである。

私のネパール壁(南碧)を登れると考える人間がいるとは信じられない。
5000メートルほどの垂直の岩壁なのだ。
これほどの岩壁は他にない。
だが1970年超人メスナーは登り切った。
弟と二人で頂上に立ったメスナーは直後に弟が高山病で危ないとわかり、ナンガパルバート、魔の山を横断し、
ディアミール壁(北壁)を降りる。
そうして三日三晩、飲まず食わずで下降のルートを探しながら北壁を下る。
ルパール壁(南壁)では間違いなく弟は落ちてしまうだろう。
はやく高度を下げて弟を死の淵から救わなければ、という判断である。
そうして三日三晩飲まず食わずで下降のルートさがしながら北壁を下る。
しかしながらメスナーの目の前で雪崩が弟を襲い弟は死んだ。
メスナーも絶望し、ほぼ死にかけていた。
メスナーが下までたどりついたのは奇跡としかいいようがない。
運よく地元民がメスナーをみつけ助け出し、
色々な人が彼を死から救い出してくれたのだ。
死から生還したメスナーは、その後8000メートルの山々をすべて無酸素で登り、
科学の力に頼らずに人間の生命力で登れることを証明した。
そして今度は一人きりで、最初から最後まで一人きりで私のところへ登りに来た。
一人の男が一つの山に対峙する。
一人の男が1つの山と対決する。
あるいは心を結びあう。
運命で結びあうのだ。
ビッキー君、ユーリちゃん。
長い間、ここにこうして立って天をかつぎ
世界を見続けてきたわたしだが
こういうことが起こるとは夢にも思わなかった。
世界と人間の可能性というものはまだまだ続く。」
・・・・・・・・
ビッキーとユーリと役行者を乗せて
カメリーナ姫はふわふわとティアミール巨神の大きな山を
あとにした。
ナンガパルバートの姿が一望出来た。
なんという岩、なんという氷だ。
あっ、頂上に人が立っている。
男が一人だけで立っている。

第十九話おわり

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