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ビッキーとユーリのユルメ探訪 二十一話2016.02.20

ビッキーとユーリのユルメ探訪 二十一話

雲のように白く、
羽毛ぶとんのように柔らかく
電気毛布のように暖かく、
ケーキのよい香りの空飛ぶ円パン・カメリーナは
ビッキーとユーリと役行者を乗せてフワフワ飛んでいく。
広大な大地、ガイアはどこまでも続く。
はるか向こうに高い山が見えた。
オリュンポスの山だ。
だんだん近づく、
山の上に神殿がある。
カメリーナはそこに着陸し、
ビッキーとユーリはオリュンポス神殿の入口に降り立った。
「しばらくここですごすといい。
わしは五台山に用があるので、
ちょっと行ってくる。またあとでむかえに来るよ。」
と言い残して役行者は雲のようなカメリーナと飛んでいった。
オリュンポス神殿の入口でニュンフ(妖精)たちが
ビッキーとユーリを出向かえてくれて、
神殿の中へと案内してくれた。
とてつもなく大きくて豪華な建物だ。
大広間の大テーブルの中央に
ゼウスと妻のヘラ横に娘のアテナ、アフロディテ、アルテミスの女神たち
一方はヘルメス、アポロン、ディオニックスの息子たちが並んで座っていた。
「やあ、ビッキー君、ユーリちゃん、
はるばる遠いところをよく来てくれた。
私の家族のことは知っているね?
そこに掛けてゆっくりと神々の酒ネクトルと食事を楽しんでくれ。
おっとお酒はまだだめだな。
ネクトルのうちノンアルコールのものを持ってこさせよう。
料理は最高のシェフの神が腕によりをかけてつくるものだ
ゆっくり味わってくれたまえ。」
そういってゼウスたち神々といっしょに歓談しながら
ビッキーとユーリはおいしいジュースを飲んで
おいしい料理をバクバク食べて、楽しい宴をすごした。

(ビッキーとユーリのユルメ探訪 二十一話 おわり)

ビッキーとユーリのユルメ探訪 二十話2016.02.20

  1. ビッキーとユーリのユルメ探訪 二十話雲のように白く、
    羽毛ぶとんのように柔らかく、
    電気毛布のように暖かく、
    ケーキのよい香りの空飛ぶ円パン・カメリーナは
  2. ビッキーとユーリと役行者を乗せてフワフワと飛んでゆく。
    下は広大な大地、ガイアがどこまでも続く。
    世界の初源は母なるガイアであり、世界の果てまでガイアは続く。
    ガイアはまずディアミールとアトラスを生み、
    天を担がせ世界の空間を造った。
    次にガイアは海を生んだ。
    海は大地に囲まれた池である。
    それがどんなに大きくてもガイアがそれを囲む。
    海が生命の源であることに変わりない。
    ガイアの子宮なのだ。
    ガイアから生まれたティディスは、海の女神としてアラル海に住んでいた。
    生命に満ちあふれていたアラル海と
  3. それを囲む緑の地域は豊かで平和な日々が続いた。
    ある時、赤い巨人族が現われた。
    赤い巨人族はアラル海に流れ込む大河の上流に住みついて、
  4. 川の水を飲みほし近くの綿花畑にまきちらした。
    自分たちの畑のためだけに川の水を全部使いつくしたのだ。
    アラル海に一滴の水をも流れ込まなくなった。
    広大なアラル海は年々縮小した。
    緑あふれる岸部はどんどん砂漠となってゆく。
    砂漠に打ち捨てられた船。
    朽ち果てて置き去りにされた船。
    水ははるか向こうへ行ってしまった。
    かつて水が満ち満ちて、
    緑と生命のあふれていた場所が一滴の水もなくなり
    砂漠となってしまった。
    なんというおろかで、狂暴な赤い巨人族。
    そこに住んでいた魚や動物はみんな死んでしまった。
    アラル海の女神ティディスも困って
    ポセイドンのところへいそうろうする身となってしまった。
    ポセイドンとゼウスも困ってティディスを英雄ペレウスに嫁がせることにした。
    英雄とはいえ人間の男と結婚するなど
    女神としては許せないことであったが、
    事情が事情であり、ティディスは泣く泣く
    ペレウスと結婚したのだった。
    生まれた男の子はアキレウスと名づけられた。
    「この子は長く生きられないだろう」
    という神託を受けたので
    母は赤ん坊のアキレウスを不死の水につけた。
    両足のかかとをつかんで逆さまに水につけた。
    かかとだけは水につからなかったのだ。
    そして母はアキレウスを女の子として隠して育てた。
    戦いにまき込まれないようにという母の心であった。
    しかし運命の女神は
    アキレウスをそっとしておいてはくれなかった。
    ————————————————————-
    空飛ぶ円バンカメリーナは
    ビッキーとユーリと役行者を乗せてフワフワ飛んでゆく。
    かつてアラル海と呼ばれ 広大な湖があったところは
    砂漠の死の世界が広がっていた。
    (ビッキーとユーリのユルメ探訪 二十話 おわり)

エルスウェーニョ(横浜駅イタリアンレストラン)マスターファンタジー ビッキーとユーリのユルメ探訪(192016.02.19

エルスウェーニョ(横浜駅イタリアンレストラン)マスターファンタジー
ビッキーとユーリのユルメ探訪(19)

雲のように白く、
羽根ぶとんのように柔らかく
電気毛布のように暖かく、
ケーキのいい香りの空飛ぶ円パン・カメリーナは
ビッキーとユーリと役行者をのせて、ふわふわと飛んでゆく。
平原のはるか向こうに岩がそそり立っている。
遠くのどこからでも見えるくらい大きい。
だんだん近づいてくる。
だんだん大きくなっている。
天を貫くようにまっすぐ高くそびえ立っている。
ディアミール巨神だ。
ディアミールは山々の王。
「こんにちは。ディアミール巨神さん。」
「やあ、ビッキー君にユーリちゃん、役行者殿。
それからカメリーナ姫。
カメリーナ姫、久しぶりにお会いしたな。
アレキサンダーグレイトとご一緒の時以来かな。」
「ディアミール巨神もおかわりなく、
お元気そうですね。」
「わたしは変わらんよ。
遠い遠い昔から、全く変わらない。
その昔、世界の始まる時、
母なるガイアはまず私を生んだ。
次に弟のアトラス。
母は私とアトラスに東と西で天をかつがせて、大地と天の間に世界を生み出したのだ。
ガイアは次々と神々と生命を産み
世界を満たしていった。
クロノスやヒガンテスといった、巨神、巨人、タイタン族、
ゼウスたちオリンポスの神々、英雄たち、
人間、動物、草木、虫たち。
世界にはいろいろなことが起こった。
その永い永い時間の間、私とアトラスはじっと動かず、
天を肩にかついでささえてきたのだ。
私は何も変わらない。
ここにあるものは、岩、水、吹き荒れる風のみだ。」
「おさびしいことでしょう」
とカメリーナがディアミールの顔を覗き込む。
「相変わらず美しいのう。姫は。
心もやさしい。
悠久の時間も一瞬のごとしだ。
だが、最近になっておもしろいことが起こった。
長い年月をかけて人間どもが知能を持ち始めた。
人間どもはいろいろなものを知りたがり得たがるようになった。
あなたといっしょにここまで来たアレキサンダーグレイトのように。
特にゼウスたちがいる西の方の人間。
エウロペ姫の子供たちは知というものを信望し、この世界のすべてを知りたがる。
いろいろなものを発明し、いろいろなところへ行きたがる。
そしてこれまで人間が足を踏み入れたことのない、
私のまわりの地域までやってきて、冒険したり地図をつくったりしている。
そしてあろうことか、私を登ろうという男まで現れたのだ。
エウロペ(ヨーロッパ)の子供たちの大胆で野方図ないくつかの男たちは大地を駆け抜け大洋を渡り、
新大陸へあがり、未開の地へ踏み入り、
血の欲求のおもむくまま世界中を旅した。
その中で山に登ることに情熱を持つ男たちはアルプスのモンブランやマッターホルンやアイガーなどに登ったあと、
今度は我々の地域に目を向けた。
そして私をはじめ兄弟たちの高さを量り、
名をつけて、どうしても登りたいと熱望したのだ。

岩と水と烈風だけの我々に登りたいだと?
身の程知らずとはこのことだ。
どれほどの寒さかわかっているのか。
どれほど高いかわかっているのか。
8,000メートルとのことだ。
空気も薄い。
生きていられると思っているのか。
私の名をナンガ・バルバードと名づけ、
最初にやってきたのは山男の中の山男・ママリだった。
十九世紀のおわりのころだ。
勇猛不適にママリは私の岩壁にとりついて
上まで登ろうとした。その勇気は認める。
が、力尽きて死んだ。
それから30年以上も私を登れるという考えは誰一人持ちえなかった。
妹のチョモランマをエベレストと名づけ
世界で最も高いとわかって、イギリスの山男たちがやってきた。
酸素の薄い中ノートンは頂上の直下まで。
熱血の山男マロリーは頂上に足を乗せる瞬間に吹き飛ばされた。1920年ころのことだ。
それからはイギリスは他の国に先がけ
世界最高の高さのエベレストの頂上に到達しようとやっきになった。
毎年毎年遠征隊が来る。
莫大な量の物資と隊員やポーター、金がつぎこまれた。
装備も進化し酸素マスクも使われた。
だがノートンやマロリー以上には進めなかった。
山男たちの中には酸素マスクを使うことはフェアーではないという意見も出た。
イギリスのいちばんの血に負けてはならじと
イタリアやスイス、フランス、ドイツ、アメリカが国をあげて遠征隊を送り込んできた。
8000メートルの高さにまず一番に到達するのはどの国かということが関心となったのだ。
ナンガバルバード(ディアミール)と呼ばれた私にドイツのメルクルたちが挑戦して来た。
ナチスドイツの国威高揚の気運に押されて、
何百人もの人員と物資と金が使われた。
私の南壁と北壁は下から上まで一枚の壁となって
とても人間の取り付けるものではない。
が東は長い氷河が続いている。
メルクルたちはこのとてつもない
長い氷河にキャンプをいくつも設営し
多くの人員と物資を運び上げながら、だんだん上の方へ上がってきた。
時間はかかるが、確実に上がってきて稜線まできることが出来た。

頂上までもう一息である。物量作戦の勝利かとも思われた。
最終キャンプにメルクルたち数人の隊員とシェルパがたどりついた。
明日の全員の頂上到達はまちがいないと思われた。
しかしながら夜半過ぎから暴風雪となり、彼らは閉じ込められた。

何日も降り込められ、撤退を決め山を下る時にメルクルらほとんどの人たちが深い雪の中で死んでしまった。
以来私のことを魔の山と呼ぶようになった。
1937年にはバウアー率いるドイツヒマラヤ財団による大遠征隊が再挑戦して来た。
そして第四キャンプに眠る十二名の隊員とシェルパを巨大雪崩が一瞬にして埋め尽くした。
そうしてドイツの空軍輸送機まで出動して
国を挙げての8000メートルの頂上に国旗を掲げようという試みはことごとく失敗し
多くの犠牲者を重ねた。他の国も同じである。
第二次世界大戦がはじまり、遠征は中断された。
ビッキー君にユーリちゃん私が故意に彼らに怒りをぶつけて追い払ったと思わないでくれ
あれは自然のなりゆき運命のなりゆきにすぎん。

だが人間どもも反省しなければならん
多くの金、化学物質と技術を投入すればなんでもでき、全てを得られると考えることが
そもそも間違っている。
その点、私の頂上まで初めてやってきたヘルマン・ブールはちがっていた。
彼は不遇の勇気の男だ。
1953年遠征隊は撤退を命じたが
ブールは天候が回復するのを見極めて、
単独で山頂をめざした。ボンベもなく装備もなく
孤独と疲労と飢えと寒さの中でブールはよじ登り、
山頂に立ち生と死の境を40時間以上もさまよいながら生還した。まさに奇跡の登頂である。
ブールは少し前にアンナブルナとエベレストの山頂にも人が立った。
やがて先進の装備とボンベが
登頂をより容易にしていった。

だが私の姿、形は他の山とは違って垂直の岩壁なのでなかなか登れるものではない。
二回目にやってきたトニーも命知らずの山男だった。
彼らは北壁ディアミール壁を登って山頂までたどりついたが
仲間が滑落死し、トニーが
死の淵から生きて帰ったのは56時間後であった。
信じられないような登頂劇は1962年のことである。

私のネパール壁(南碧)を登れると考える人間がいるとは信じられない。
5000メートルほどの垂直の岩壁なのだ。
これほどの岩壁は他にない。
だが1970年超人メスナーは登り切った。
弟と二人で頂上に立ったメスナーは直後に弟が高山病で危ないとわかり、ナンガパルバート、魔の山を横断し、
ディアミール壁(北壁)を降りる。
そうして三日三晩、飲まず食わずで下降のルートを探しながら北壁を下る。
ルパール壁(南壁)では間違いなく弟は落ちてしまうだろう。
はやく高度を下げて弟を死の淵から救わなければ、という判断である。
そうして三日三晩飲まず食わずで下降のルートさがしながら北壁を下る。
しかしながらメスナーの目の前で雪崩が弟を襲い弟は死んだ。
メスナーも絶望し、ほぼ死にかけていた。
メスナーが下までたどりついたのは奇跡としかいいようがない。
運よく地元民がメスナーをみつけ助け出し、
色々な人が彼を死から救い出してくれたのだ。
死から生還したメスナーは、その後8000メートルの山々をすべて無酸素で登り、
科学の力に頼らずに人間の生命力で登れることを証明した。
そして今度は一人きりで、最初から最後まで一人きりで私のところへ登りに来た。
一人の男が一つの山に対峙する。
一人の男が1つの山と対決する。
あるいは心を結びあう。
運命で結びあうのだ。
ビッキー君、ユーリちゃん。
長い間、ここにこうして立って天をかつぎ
世界を見続けてきたわたしだが
こういうことが起こるとは夢にも思わなかった。
世界と人間の可能性というものはまだまだ続く。」
・・・・・・・・
ビッキーとユーリと役行者を乗せて
カメリーナ姫はふわふわとティアミール巨神の大きな山を
あとにした。
ナンガパルバートの姿が一望出来た。
なんという岩、なんという氷だ。
あっ、頂上に人が立っている。
男が一人だけで立っている。

第十九話おわり

エル・スウェーニョ 横浜駅 ジャズアンドイタリアンレストラン ビッキーの論説 ギリシャ神話 一章2016.02.17

エル・スウェーニョ 横浜駅 ジャズアンドイタリアンレストラン
ビッキーの論説 ギリシャ神話 一章
ギリシャ神話は興味深い豊富な物語にあふれている。

それらのまず、神話の中心である神々と世界はどのようにして生まれたのかということについての神話が、

ヘシオドスの「神統記」によって語られている。

ヘシオドスはホメロスとだいたい同じ時代の農耕を営む詩人であったと伝えられ、「神統記」は、宇宙の生成および神々の系列を伝えた叙事詩である。
それによるよと、最初にカオスが存在し、そこからガイヤ(大地)が生まれた。

「カオス」のものとの意味は空隙とか虚無というべきもので、万物が成立する場所としての存在があったが、後に混沌という意味に変わってくる。
このような自然発生的な生成では、生まれ出るためにその素材が必要であるという考え方から混沌という意味が出てきたのだと思われる。

旧約聖書では神による「無からの創造」が説かれているのに対して、ギリシャ神話の宇宙の成立は、素材から生まれてくるというように、生物学的な世界観といえるだろう。
カオスからガイアが生まれると同時に、別にエロースも生まれ出る。

愛の神エロースはいわゆる男性と女性の愛の営みによって、物が生まれ出るために不可欠な存在であり、ここでは万物を生み出す生の力の象徴とみることができる。
ガイア(大地)は一人でウラノス(天)を生み出した。大地が天を生み出したのだ。

ウラノスは世界を支配し、ウラノスとガイアの間に生まれる神々が、ティターン(巨神)族と呼ばれる。いわば古い神々である。
彼らのうちで、その後の神話で活躍するのは、

すべての海や河川の父である大洋神オケアノスとその妻の女神テテュス、

ゼウスに罰せられて天を肩にかついでいるアトラス、

火を人間に与えたため同じくゼウスに罰せられるプロメテウスなどである。
さて、ティターン族の中のクロノス(時)がウラノスの支配を破って新しい王となるのが、

その時のいきさつは、ウラノスの横暴に怒ったガイアが、息子のクロノスに大鎌を渡しておいて、夜ガイアのそばに横たわったウラノスの男根を切りとらせたというのである。
そして、海に捨てられたウラノスの男根から泡がわきあがり、その中からすばらしく美しい乙女が生まれた。
美の女神アフロディア(ヴィーナス)であるといわれる。
新しい支配者クロノスには、妹のレアとの間に六人の子供ができるが、その「時」という名のごとく残念な性格で五人の子供をすべて呑み込んだ。
六人目のゼウスがなんとか生きのがれ、兄や姉たちを助け出して、ゼウスを中心とする新しい神々はオリュンポス山に陣取って、クロノスらティターン族を相手に壮絶な戦いをくりひろげ、ついにはゼウスらが勝利をおさめる。
こうしてゼウスを主神とするオリュンポス神の支配体制が成立し、ギリシャ神話が展開してゆく。
神々はオリュンポスの山の上で、ネクタル(神酒)を飲み、歌や音楽にかこまれて、憂いのない不死の生活をおくるといわれている。
これが、神々の誕生のだいたいのいきさつであるが、ここに描かれているのは、ウラノス、クロノス、ゼウスという親子三代にわたる支配権の交代である。
これは古代神話に共通する一つのパターンであるともいわれ、日本の古事記にも類似点があるらしい。
しかし、古代ギリシャの場合、紀元前二十世紀後頃インド・ゲルマン系ギリシャ人が今のギリシャ地方へ南下し侵入していった事実があり、ゼウスという名は、彼ら印欧語族の共通する主神の名であり、侵入民の神であった。
それに対して、テッサリア、アッティカ、ペロポネソス半島というギリシャ本土の先住民の神々がティターン族に当たるものと思われ、そして、この場合、ティターン族の敗北という形で、ギリシャ人の侵入が表されたといえるだろう。
これらの三世代にわたる神々の中で、いちばん大きな力を持つのは、ガイアである。
ガイアはひとり一貫した地位を持ち、不滅の存在であり、それぞれの支配者を陰であやつっている。
ガイア(大地)はウラノス(天)を生み出した。
これは、宇宙がどのようなものであるか多少とも知っている我々では考えもつかないことではあるけれど、遠い天空より、まず身近な大地に価値をおくという、ギリシャ民族の特異な見解ではないだろうか。
古代の神話の中をさがしても、このようにおおきな力を持つガイア(大地)に相当するような神格は見出せない。
例えば「旧約聖書」では、神は時間より以前に存在し、無から天地や人間を創造するのであって、人間の現実の生活と神との間は非常に離れている。
日本の神話でも、神々が天上から日本の国を造り出すのであって、農民の生活からは考えられないことだといえるだろう。
それに対してギリシャ神話は、まず人々に農作物の恵みをもたらす大地が宇宙や神々や人々などすべての根源となるのである。
それはまた、神話の形成過程にも問題がありそうである。
古代の神話の多くが、そのときの政治権力や教団の立場によって作られ、整理されていたのに対し、

ギリシャ神話はそういうものから自由に、詩人や遊牧民たちの手によって、自分らの素直な感じ方を表現できたからこそ、大地をいちばん重要な神としたと考えるのである。
古代の生活が土地と離れられないものであり、また農耕の営みによって生活が成り立っていたという民族は多かったはずであるから、

恵みをもたらす母なる大地として信仰するという思想は普遍的に存在することのように思えるが、必ずしもそうではなく、

その他の民族の神話や宗教思想には地母神のような存在はあったにせよ、

このような破格の力を持つガイアというふうな信仰はみられないそうである。
とすると、現代の我々も感じうるなつかしさと豊かな可能性を持つ「母なる大地」は、

古代ギリシャにおいて大いなる神の名を与えられ、ここにみられるような人間と大地との関係は、限りなき豊かさと底知れぬ深みを持つ、存在の母というべきものへの我々に求められている失われた絆ではないだろうか。
大地にこのような大きな価値をおくのは、主にヘシオドスの独創とみなされるわけであるが、彼はまた貧しい農民でもあった。
農耕を営む者としてはいうまでもなく、古代ギリシャ人は大地を万物に生み出す存在の母として、非常に重視していたと思われる。
例えば、後のプラトンにいたってさえ、「妊娠や出産においては、女が大地を模倣しているのだ」と語っている。
つまり植物だけでなく、動物も人間も大地からこそ生まれ出るというように、一般的に考えられていたわけである。
これは、しかしながら、農耕民によってのみ可能な発想だと言え、母なる大地を中心とする考え方は、一種の母権制の表れであるといえよう。
ガイアはこうしてみると、農耕を営んでいた先住民の太古神といえるわけで、

放牧民である侵入ギリシャ人がゼウスとともにギリシャへ南下したのにともない、

このギリシャの地でガイアとゼウスが同居することとなったはずである。
ヘシオドスのガイアをすべての神々との母とする神話は、両者の最初の結合とみることができる。
そうしてその後はゼウスを中心とする神話を形成するが、本当は大地の力は決して小さくなってはおらず、両者は神話の中でさまざまな形で抗争し、結合していくわけである。
オリュンポス神の支配が確立した後にも、ガイアは、まずその外形として、

大地の工作された部分は農耕の神デメテルという農作物の恵みをもたらす女神として存在し、

原子の森や山野は狩猟の女神アルティミスとして、その神秘的な姿で現れる。
また、古い神々の同族としてガイアの力は、ゼウスに反抗するティターン族に現れ、それは特にプロメテウスに代表されている。
さらにガイアの持つ豊かさや神秘性などは、愛と美の女神アフロディテや、酒と陶酔の神ディオニュソスに表されている。
このほかにもガイアは、その広大な姿と豊富さでさまざまな側面を神話の中に反映している。
ところで、ギリシャ神話はヘレニズム時代になると、星や星座に関する話が流行し、大地の地位が消えてゆくのであるが、

本来のギリシャ神話は大地の力が健在で、その力がはっきり現れていた期間のものというふうに考えられるべきであろう。

エル・スウェーニョ 横浜駅 ジャズアンドイタリアンレストラン ビッキーの論説 ギリシャ神話 序章2016.02.17

エル・スウェーニョ 横浜駅 ジャズアンドイタリアンレストラン
ビッキーの論説 ギリシャ神話 序章

 

我々が、普通ギリシャ人と呼ぶ、ギリシャ本土とエーゲ海地域に輝かしい文化を創造した民族は、もともとはインド・ゲルマン語族という、

インド、イラン、アルメニア、スラブ、ゲルマン、ケルト、ラテンなどの言語のもととなった大言語族の一派で、
紀元前二十世紀頃、北方からギリシャの地に侵入してきたといわれている。
そのころエーゲ海域では、クレタ島を中心とするミーア文化が栄え、
シリア、エジプトなどと交わりながら華麗で自由な文化を創造していた。
ギリシャ人の侵入は波状的な浸透というべき温和なものであったので、
彼らは先住民の文化を吸収しつ つ、独自の文化を築き上げてゆき、
ペロポネス半島のミュケナィを中心地としてしだいに勢力を広げ、
紀元前十五世紀頃には、ギリシャ本土はもとよりクレタ島まで支配していたと考えられている。
この時代がミュケナィ時代であり、叙事詩にうたわれた英雄達の時代であろう。
ところが紀元前十一世紀の頃、ヨーロッパの大民族移動を契機として、ドーリス人と呼ばれる民族が急激にギリシャに侵入し、そのためミュケナィ文化は崩壊する。
ドーリス人が侵入した最後のギリシャ人とされており、彼らは定住した後、スパルタを中心地として勢力を持つようになる。
ミュケナィ文化の壊滅の後、数百年はいわゆる「暗黒時代」であり、ギリシャ民族の苦悩の時代であり、
ホメロスの叙事詩は、実はこの暗黒時代に、輝かしいミュケナィ時代を振り返って歌われたものである。
ギリシャ人はやがてその荒廃の時代の中から、ミュケナィ時代のオリエント風の王朝制とは違った、独自のポリス社会を生み出し、独創的な文化を築き上げてゆくのである。
ギリシャ文明は、西洋文明の始祖であり、建築、彫刻、文学、哲学、科学などの広汎な領域で多くの偉大な作品を残し、
それは現代にいたってさえ不滅である。
ギリシャ精神というべきものは、古典古代という呼び名が示すように西洋精神のふるさとであり、
ヨーロッパ精神はある意味で大小いくたびものルネサンスによって、ギリシャへ立ち返ろうとしてきた。
このような偉大なギリシャ精神にすこしでも近づくために、ギリシャ神話に目を向けることはムダであろうか?
ギリシャの神々は我々にとっても、今なお永遠の生命を持って輝いているかのようである。
ゼウス、アポロン、アテナ、アフロディテ(ヴィーナス)、デュオニュソス(バッカス)というようなギリシャの神々の名のごとく、
これほど多くの人々に知られ、語られる神々は他にないであろう。
それらの神々を中心とする神話もまた、我々に親しみ深く、その豊富な物語で我々を魅了する。
しかしながら、ギリシャ神話はおもしろいけれど、子供たちのおとぎ話のような価値しかないという風に思われ、神々というのは、知性の未発達な古代人の妄想でしかないというように考えられがちである。
はたしてそうであろうか?
ギリシャ文化を代表する人たち、特にホメロスや悲劇詩人たちはギリシャの神々と非常に密接な関係を持っていたし、
彼らの偉大な作品は神話に負うているところが大きいはずである。

さらにギリシャ神話は、古代ギリシャのミノア、ミュケナィ、暗黒時代、そして古典期という社会を反映しており、ギリシャ人のものの見方、考え方の反映として語られているはずである。
こういうわけで本論は、
歴史的にギリシャ民族の形成として先住民と侵入ギリシャ人の融合ということに視点をおいて、
ギリシャ神話を解釈することを通して、ギリシャ精神というものの本質に少しでも近づこうと意図するものである。

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