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エルスウェーニョ(横浜駅イタリアンレストラン)マスターファンタジー ビッキーとユーリのユルメ探訪(192016.02.19

エルスウェーニョ(横浜駅イタリアンレストラン)マスターファンタジー
ビッキーとユーリのユルメ探訪(19)

雲のように白く、
羽根ぶとんのように柔らかく
電気毛布のように暖かく、
ケーキのいい香りの空飛ぶ円パン・カメリーナは
ビッキーとユーリと役行者をのせて、ふわふわと飛んでゆく。
平原のはるか向こうに岩がそそり立っている。
遠くのどこからでも見えるくらい大きい。
だんだん近づいてくる。
だんだん大きくなっている。
天を貫くようにまっすぐ高くそびえ立っている。
ディアミール巨神だ。
ディアミールは山々の王。
「こんにちは。ディアミール巨神さん。」
「やあ、ビッキー君にユーリちゃん、役行者殿。
それからカメリーナ姫。
カメリーナ姫、久しぶりにお会いしたな。
アレキサンダーグレイトとご一緒の時以来かな。」
「ディアミール巨神もおかわりなく、
お元気そうですね。」
「わたしは変わらんよ。
遠い遠い昔から、全く変わらない。
その昔、世界の始まる時、
母なるガイアはまず私を生んだ。
次に弟のアトラス。
母は私とアトラスに東と西で天をかつがせて、大地と天の間に世界を生み出したのだ。
ガイアは次々と神々と生命を産み
世界を満たしていった。
クロノスやヒガンテスといった、巨神、巨人、タイタン族、
ゼウスたちオリンポスの神々、英雄たち、
人間、動物、草木、虫たち。
世界にはいろいろなことが起こった。
その永い永い時間の間、私とアトラスはじっと動かず、
天を肩にかついでささえてきたのだ。
私は何も変わらない。
ここにあるものは、岩、水、吹き荒れる風のみだ。」
「おさびしいことでしょう」
とカメリーナがディアミールの顔を覗き込む。
「相変わらず美しいのう。姫は。
心もやさしい。
悠久の時間も一瞬のごとしだ。
だが、最近になっておもしろいことが起こった。
長い年月をかけて人間どもが知能を持ち始めた。
人間どもはいろいろなものを知りたがり得たがるようになった。
あなたといっしょにここまで来たアレキサンダーグレイトのように。
特にゼウスたちがいる西の方の人間。
エウロペ姫の子供たちは知というものを信望し、この世界のすべてを知りたがる。
いろいろなものを発明し、いろいろなところへ行きたがる。
そしてこれまで人間が足を踏み入れたことのない、
私のまわりの地域までやってきて、冒険したり地図をつくったりしている。
そしてあろうことか、私を登ろうという男まで現れたのだ。
エウロペ(ヨーロッパ)の子供たちの大胆で野方図ないくつかの男たちは大地を駆け抜け大洋を渡り、
新大陸へあがり、未開の地へ踏み入り、
血の欲求のおもむくまま世界中を旅した。
その中で山に登ることに情熱を持つ男たちはアルプスのモンブランやマッターホルンやアイガーなどに登ったあと、
今度は我々の地域に目を向けた。
そして私をはじめ兄弟たちの高さを量り、
名をつけて、どうしても登りたいと熱望したのだ。

岩と水と烈風だけの我々に登りたいだと?
身の程知らずとはこのことだ。
どれほどの寒さかわかっているのか。
どれほど高いかわかっているのか。
8,000メートルとのことだ。
空気も薄い。
生きていられると思っているのか。
私の名をナンガ・バルバードと名づけ、
最初にやってきたのは山男の中の山男・ママリだった。
十九世紀のおわりのころだ。
勇猛不適にママリは私の岩壁にとりついて
上まで登ろうとした。その勇気は認める。
が、力尽きて死んだ。
それから30年以上も私を登れるという考えは誰一人持ちえなかった。
妹のチョモランマをエベレストと名づけ
世界で最も高いとわかって、イギリスの山男たちがやってきた。
酸素の薄い中ノートンは頂上の直下まで。
熱血の山男マロリーは頂上に足を乗せる瞬間に吹き飛ばされた。1920年ころのことだ。
それからはイギリスは他の国に先がけ
世界最高の高さのエベレストの頂上に到達しようとやっきになった。
毎年毎年遠征隊が来る。
莫大な量の物資と隊員やポーター、金がつぎこまれた。
装備も進化し酸素マスクも使われた。
だがノートンやマロリー以上には進めなかった。
山男たちの中には酸素マスクを使うことはフェアーではないという意見も出た。
イギリスのいちばんの血に負けてはならじと
イタリアやスイス、フランス、ドイツ、アメリカが国をあげて遠征隊を送り込んできた。
8000メートルの高さにまず一番に到達するのはどの国かということが関心となったのだ。
ナンガバルバード(ディアミール)と呼ばれた私にドイツのメルクルたちが挑戦して来た。
ナチスドイツの国威高揚の気運に押されて、
何百人もの人員と物資と金が使われた。
私の南壁と北壁は下から上まで一枚の壁となって
とても人間の取り付けるものではない。
が東は長い氷河が続いている。
メルクルたちはこのとてつもない
長い氷河にキャンプをいくつも設営し
多くの人員と物資を運び上げながら、だんだん上の方へ上がってきた。
時間はかかるが、確実に上がってきて稜線まできることが出来た。

頂上までもう一息である。物量作戦の勝利かとも思われた。
最終キャンプにメルクルたち数人の隊員とシェルパがたどりついた。
明日の全員の頂上到達はまちがいないと思われた。
しかしながら夜半過ぎから暴風雪となり、彼らは閉じ込められた。

何日も降り込められ、撤退を決め山を下る時にメルクルらほとんどの人たちが深い雪の中で死んでしまった。
以来私のことを魔の山と呼ぶようになった。
1937年にはバウアー率いるドイツヒマラヤ財団による大遠征隊が再挑戦して来た。
そして第四キャンプに眠る十二名の隊員とシェルパを巨大雪崩が一瞬にして埋め尽くした。
そうしてドイツの空軍輸送機まで出動して
国を挙げての8000メートルの頂上に国旗を掲げようという試みはことごとく失敗し
多くの犠牲者を重ねた。他の国も同じである。
第二次世界大戦がはじまり、遠征は中断された。
ビッキー君にユーリちゃん私が故意に彼らに怒りをぶつけて追い払ったと思わないでくれ
あれは自然のなりゆき運命のなりゆきにすぎん。

だが人間どもも反省しなければならん
多くの金、化学物質と技術を投入すればなんでもでき、全てを得られると考えることが
そもそも間違っている。
その点、私の頂上まで初めてやってきたヘルマン・ブールはちがっていた。
彼は不遇の勇気の男だ。
1953年遠征隊は撤退を命じたが
ブールは天候が回復するのを見極めて、
単独で山頂をめざした。ボンベもなく装備もなく
孤独と疲労と飢えと寒さの中でブールはよじ登り、
山頂に立ち生と死の境を40時間以上もさまよいながら生還した。まさに奇跡の登頂である。
ブールは少し前にアンナブルナとエベレストの山頂にも人が立った。
やがて先進の装備とボンベが
登頂をより容易にしていった。

だが私の姿、形は他の山とは違って垂直の岩壁なのでなかなか登れるものではない。
二回目にやってきたトニーも命知らずの山男だった。
彼らは北壁ディアミール壁を登って山頂までたどりついたが
仲間が滑落死し、トニーが
死の淵から生きて帰ったのは56時間後であった。
信じられないような登頂劇は1962年のことである。

私のネパール壁(南碧)を登れると考える人間がいるとは信じられない。
5000メートルほどの垂直の岩壁なのだ。
これほどの岩壁は他にない。
だが1970年超人メスナーは登り切った。
弟と二人で頂上に立ったメスナーは直後に弟が高山病で危ないとわかり、ナンガパルバート、魔の山を横断し、
ディアミール壁(北壁)を降りる。
そうして三日三晩、飲まず食わずで下降のルートを探しながら北壁を下る。
ルパール壁(南壁)では間違いなく弟は落ちてしまうだろう。
はやく高度を下げて弟を死の淵から救わなければ、という判断である。
そうして三日三晩飲まず食わずで下降のルートさがしながら北壁を下る。
しかしながらメスナーの目の前で雪崩が弟を襲い弟は死んだ。
メスナーも絶望し、ほぼ死にかけていた。
メスナーが下までたどりついたのは奇跡としかいいようがない。
運よく地元民がメスナーをみつけ助け出し、
色々な人が彼を死から救い出してくれたのだ。
死から生還したメスナーは、その後8000メートルの山々をすべて無酸素で登り、
科学の力に頼らずに人間の生命力で登れることを証明した。
そして今度は一人きりで、最初から最後まで一人きりで私のところへ登りに来た。
一人の男が一つの山に対峙する。
一人の男が1つの山と対決する。
あるいは心を結びあう。
運命で結びあうのだ。
ビッキー君、ユーリちゃん。
長い間、ここにこうして立って天をかつぎ
世界を見続けてきたわたしだが
こういうことが起こるとは夢にも思わなかった。
世界と人間の可能性というものはまだまだ続く。」
・・・・・・・・
ビッキーとユーリと役行者を乗せて
カメリーナ姫はふわふわとティアミール巨神の大きな山を
あとにした。
ナンガパルバートの姿が一望出来た。
なんという岩、なんという氷だ。
あっ、頂上に人が立っている。
男が一人だけで立っている。

第十九話おわり

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