FOOD

ブログ

エルスウェーニョの新着情報やお知らせ、
ブログをご覧ください。

母の日とバラ、父の日とアジサイ エルスウェーニョ 横浜駅ジャズアンドイタリアンレストラン ビッキーとユーリのグルメ探訪 34話2016.06.19

母の日とバラ、父の日とアジサイ
エルスウェーニョ 横浜駅ジャズアンドイタリアンレストラン ビッキーとユーリのグルメ探訪 34話

image

 

 

 
バラの花にはたくさんの種類があり、色と形もさまざまで人々の目と心を楽しませてくれる。
美しいバラを咲かせるための人々の努力は長い歴史を持ち、多くのドラマも生まれたことだろう。白いバラ、赤いバラ、黒いバラ…。
オールドローズという種類があってバラの原種ということなのだが、日本で最も身近なオールドローズはハマナスである。
「知床の岬にはまなすの咲くころ、思い出しておくれ、おれたちのことを」
と歌わせる知床旅情の歌で多くの人ははまなすという花のことを知った。image
森繁久弥さんを主役とする、映画製作の人々が知床にロケのために滞在した。
映画の題名は「地の果てに生きるもの」。知床の海岸に冬の間、網を閉まっておく小屋がある。番屋という。
その網をネズミがかじる。ネズミをとるために猫を飼う。その猫にえさをやるために網元に雇われた老人のお話である。
元・猟師の老人は天涯孤独である。妻に先立たれ、せがれたちも海で死んだ。
知床の荒波の海岸の番屋で一人猫と暮らす。
映画のロケが終わり、映画のスタッフたちと地元の人々とのお別れの宴が催された。
その宴で森繁久弥さんが即興で歌った歌がこの歌である。
この歌を聴いた地元の人々は深い印象を受け、人から人へ歌い継がれた。
知床を訪れる旅人たちもまた深い印象を受け、旅人たちの間で歌い継がれた。
この旅行者たちの間で歌われている歌を加藤登紀子さんが聴いて深い印象を受け、それが森繁久弥さんの作だということを知り、
ぜひとも歌わせてくださいと申し出た。 森繁さんは加藤登紀子さんが歌う自分の歌を聴いて深い印象を受け、
あなたは私と同じ心を持つ人だ、ぜひとも歌ってくださいと言った。
こうして知床旅情の歌は世に出た。
はまなすの花は今、横浜の公園にもたくさん植えられている。真っ白と濃いピンクの一重の美しい花でその香りは天上のものだ。
横浜の地で大きく育つが、数年で枯れてしまう。やはり北海道の原野の気候があっているのだろう。
………………
ビッキーは父の日に、両親を横浜駅イタリアンレストラン エルスウェーニョに招待して食事をした。
両親にとっていちばんうれしいのは、子供がすくすく育ち、世に出て人に迷惑かけずにがんばって一人前に生き、
できれば世のため、人のためになるような人間に育ってくれるということなのである。

 

 

 
34話 おわり

2016.06.18

第三章 ゼウスとプロメテウス

ゼウスは、もともと、父権制約的な社会を構成していた印欧語族の放蓄民の神であり、
ギリシャ人の侵入と共に、オリュンポスの支配者となってからは天を支配し雷や嵐を起こし雨を降らせるとされた。
主神といっても絶対的な支配権を持つのではなく、神々と人間の父として、家父長的な存在であったようである。ホメロスによると、ゼウスは「神々と人間の父」と称せられるが人間造りしたというような話はない。
あれだけ多彩な内容を持つギリシャ神話において、
「創世記」などのように人類の起源についての詳しい説明がないというのは、非常におかしいように思える点ではあるが、実際は、人間も神々も起源は同一とされていたし、
また先に述べたように、万物は大地から生まれ出るとする考え方が支配的だったから、とりたてて人類の起源を説明する必要がなかったのだろうと思われる。
しかしながら、ゼウスが人間の父といわれるのは、理由のないことではない。
というのは神話の中では、主にゼウスは、妻の目を盗んで多くの浮気や誘惑をするわけであるが、それらの子孫がそれぞれの民族を形成する場であり、ゼウスの血をひくとされる人々も実際に多かった。

ペロポネソス半島アルゴス王家の先祖はイナコスといい、これは同名の川の神格化である。
イナコスの娘がイオーで、すばらしい女性であったため、ゼウスは雲の上から見て一目惚れし、逃げるイオーを黒い雲にすっぽり包んで思い通りにしてしまった。
ヘラは、アルゴスの野を見下ろすと一箇所だけ黒い雲に覆われているのを不審に思い、またも夫ゼウスの隠れた所業とみてとって、雲を吹き払ったが、ゼウスは、それより先にヘラに気づいてイオーを美しい牝牛の姿に変えていた。
ヘラはすべてを知りつつ、この美しい牝牛が気に入ったから自分への贈り物にしてほしいと言い出して、困ったゼウスからイオーをとりあげていじめる。牝牛の姿をしたイオーは、ヘラによってアルゴスという百の目玉を持つ巨人に監視され、苦しい目にあわされていた。
それを見て心を痛めたゼウスは、息子のヘルメスを使わせてアルゴスを退治させにゆかせる。ヘルメスは、翼のついたサンダルで地上にまで降り立ち、羊飼いの姿でアルゴスに近づき、シューリンクスの笛と呼ばれる葦笛の美しい調べでやっと怪物を眠らせ、首を切り落とした。ヘラは憐れに思って、その百の目をとって孔雀の尾に取り付けたといわれる。
ヘラは、次に一匹のアブを送ってイオーを苦しめ、イオーはアブに追われて世界をさまよった。イオニア海(イオーの海)を泳ぎ、ボスポラス(牝牛の渡し)を渡って、最後にはナイル河までやってきた。そこでとうとうゼウスもヘラに詫びを入れて、イオーは人間の姿に戻ることができ、エジプトの女王となる。

イオーの四代ほど後の王べロスの二人の息子がアイギュプトスとダナオスであり、ダナオスの五十人の娘は、アイギュプスの五十人の息子に求婚されるが、それを嫌い、エジプトをのがれ、アルゴスへ亡命してくるという物語は、アイスキュロスの悲劇「救いを求める女神たち」によって扱われている。とにかく、ダナオスは入国を許され、後に、アルゴス王となる。ダナオスの孫アバスにアクリシュオスとプロイトスという双生児が生まれ、二人は争った後、アクリシオスが王位を継ぐ。アクリシオスにはダナエという美しい娘がいたが、自分の孫によって殺されるという神託を受けたので、娘が妊るのを防ぐために、ダナエを青銅がはりめぐらされている宝に閉じ込めておくが、またもゼウスがダナエに恋して、黄金の雨に身を変じて屋根から流れ入って、彼女と交わり、ペルセウスが生まれる。神託を恐れたアクリシオスは、娘と孫を木箱で海に流すが、セリフォス島の漁師がこれを救う。

さて、ペルセウスは、そこで勇敢な青年に成長するが、ダナエによこしまな恋心を持つセリフォス島の王は、邪魔なペルセウスに恐ろしい怪女メドゥーサの退治に使わす。メドゥーサは、ゴルゴンという三人姉妹の怪女の末の妹であり、髪の毛一本一本が蛇で、その恐ろしい顔を一目でも見た者は、ただちに石になってしまうという残忍な怪物で、大地の果てに住むといわれていた。ペルセウスは、途中、グライアイ(老婆達)という生まれた時から白髪の老婆で一つ目と一つ歯を三人共同で使う三人姉妹に、ゴルゴンらの居場所を尋ね、メドゥーサが居眠りをしているところを、アテナのくれた盾で、メドゥーサの姿を写しながら、ヘルメスのさずけてくれた鎌で首を断ち切って、すばやく首を持ってゴルゴン達のもとから逃げた。そうして、ペルセウスは、帰途、エチオピアの浜辺で、岩につながれている美しい娘、アンドロメダに会った。アンドロメダの話によると、彼女の母であり、エチオピアの女王のカシオペアが、自分の美しさを自慢して海のニュンフをばかにしたため、ニュンフは海の怪物を送って海岸を荒らし、その怪物の怒りを静めるために娘のアンドロメダがいけにえにされているところだった。アンドロメダが気に入ったペルセウスは、おそってきた怪物にメドゥーサの首をつきつけ、大きな岩にして退治して、アンドロメダを妻にめとり、彼女を連れてギリシャのあの島へ帰ってきた。そこで暴君らをやっつけ、ダナエは島の女王となり、ペルセウスは故国アルゴスへ帰るが、そこの競技に参加して円盤を投げたところ、偶然、見物人の一人に当たって殺してしまった。その見物人こそ、祖父のアクリシオスで、孫に殺されるという神託は実現してしまったのだ。ペルセウスは悲しんでアルゴスを去り、近くのミュケナイで王城を築いた。このミュケナイの王城は、考古学的証拠によっても、ミュケナイ時代として紀元前一千六百年頃から五世紀の間、ギリシャ第一の繁栄を誇っていた。

以上は、ゼウスの愛人イオーからペルセウスの冒険と、ミュケナイの建設までのペルセウス王家の系統をたどったものであるが、この王家には明らかにゼウスの血が流れているとされているのである。しかし、ミュケナイの政権は、ペルセウス王家からやがてアジアから来た実在の人物ペロプス(ペロポネソスという地名は彼に由来する)とその息子アトレウスに移り、ギリシャ軍総大将アガメムノンは、アトレウスの息子であり、強大な勢力を誇っていたと伝えられる。

第三章 前編 おわり

鯉のぼりと山椒魚 エル・スウェーニョ 横浜駅ジャズアンドイタリアンレストラン ビッキーとユーリのグルメ探訪 33話2016.05.31

鯉のぼりと山椒魚
エル・スウェーニョ 横浜駅ジャズアンドイタリアンレストラン ビッキーとユーリのグルメ探訪 33話

 

 

いらかの波と 雲の波
高く泳ぐ 鯉のぼり

川があった。
滝があり、滝の下で魚たちが平和に暮らしていた。
ある時、滝の上のなまずが水をせき止めて滝の下に水が流れなくなり魚たちは困った。
そこで鯉が滝をのぼりなまずをこらしめて、
水はもとどおり流れるようになり、魚たちに平和が戻った。
鯉は魚たちの英雄である。
だがしかし、現代は魚たちがいない。
帷子川にしても大きな鯉ばかり泳いでいる。

どうしたことか?かつて野に小川が流れ、農薬というものが使われず水が綺麗であった時代、
太古の時代からつい50年ほど前までの
永々と続く自然の営みの中で水辺にはたくさんの種類の生き物がいた。
どじょうやメダカといった魚たち。みずすましやほたるやアメンボといった虫たち。そしてかえるや山椒魚の両生類たち。カニもたくさんいた。
いたるところ生き物だらけであった。種の多様性がずっと続いていたのだが、それが失われている。
そして農薬と汚染に強い種だけが生き残りはびこっているのだ。
その最も数の減少した生き物は山椒魚であろう。大山椒魚も昔はウヨウヨいた。
春になると、いちばんにビッキーたちの赤ちゃんと山椒魚の赤ちゃんたちで水辺はいっぱいになる。
山椒魚の赤ちゃんは首のところに扇状の首かざりがついていてかわいらしかった。
大山椒魚は1メートル以上の大きさがあり、外敵もほとんどいないからかあまり動かない。
よって古代の人類にとって貝と同じでもっともおいしくてもっとたやすく手に入る食料であっただろう。
現代では大山椒魚を食べたことのある人はほとんどいないだろう。

ビッキーとユーリは横浜駅イタリアンレストランエル・スウェーニョで今夜は卑弥呼の時代の食べ物を想像している。
稲作も行われ、古代米でごはんを炊いていたとはいえ、魚や貝が今では想像できないぐらい豊富だっただろう。
遠浅の干潟の砂を掘れば貝から身がはみだすぐらいのハマグリやアサリや、
もう今では見ることのできないたくさんの種類の貝がゴロゴロ出てくる。
水たまりには魚たちがウヨウヨいる。川にはウナギやアユなどの魚もウヨウヨいる。
そして大山椒魚もウヨウヨいる。つかまえるのは簡単だ。手でつかまえればいい。
お酒もつくられていただろう。
米のお酒と山ぶどう酒が飲まれていたに違いない。
エル・スウェーニョのテーブルにはイタリアの赤ワイン、カサール・ベッキオ モンテプルチアーノ・ダブレッツィオが置かれている。
力強い赤ワインだ。まだ荒々しさが残る。
10年ぐらい置いておくと熟成され、すばらしい味になるだろう。

 

 

おわり

八十八夜 エル・スウェーニョ 横浜駅ジャズアンドイタリアンレストラン ビッキーとユーリのグルメ探訪 32話2016.05.30

 

八十八夜
エル・スウェーニョ 横浜駅ジャズアンドイタリアンレストラン ビッキーとユーリのグルメ探訪 32話

 

夏も近づく 八十八夜

野にも山にも 若葉が茂る

 

立春から数えて八十八日目のことである。この八(ハチ)という数字は古来特別な意味を持つ数字だ。
八百万の神々だとか、八百屋とか、浪波の八百八橋、大江戸八百八町という。宇佐八幡や鶴岡八幡も有名だ。八王子という地名も多い。
音階というものも、ドレミファソラシドと八音階に別けられている。リズムも八の割数か倍数だ。丸いピザやパンやケーキも八等分に切るのが一般的だ。
八十八夜の夜、ビッキーとユーリは横浜駅イタリアンレストラン エル・スウェーニョにピザを食べに来た。
オリジナルトスカーナピザは香ばしいカメリーナの生地に自家製ラグーソースとゴーダチーズを乗せて炭火で焼き上げる。
あまり高温過ぎない温度でゆっくりと焼く。
小麦粉の精カメリーナの香ばしいおいしさがソースとチーズと絶妙なハーモニーを生み出す。
熱い皿の上で八カットに切られたトスカーナピザが来た。

テーブルの上には白ワイン ローマが置かれている。

このローマという白ワインのおいしさは絶品だ。ほのかな甘さ、苦さ、酸味、うまさ、上品な味わいがすばらしく調和している。
ビッキーとユーリは白ワインを飲んで、トスカーナピザをパクつく。
夏も近い。

 

 

32話 終わり

PAGE TOP