陸と、自分の限界を悟ったアレキサンダーグレイトはギリシャに帰り、ディオゲネスを訪ねる。
無一物無尽蔵の哲人である。
ディオゲネスの樽の前に立ち、アレキサンダーはこう言う。
「ディオゲネス先生、私はアレキサンダーグレイトです。地上のすべてを得た者です。何かお望みのものがあればおっしゃってください。」
ディオゲネスは答える。
「そうか。ではそこを立ち去ってくれ。お前のおかげで太陽の光が遮られるのでな。」
アレキサンダーは
「この人は天の王の太陽と親しく語らっているのだ。地上の王の私など及ぶものではない。」
と悟って立ち去る。
だが立ち去るときに樽のそばにカメリーナをそっと置いていった。
ディオゲネスは後で置かれていったカメリーナを見つけてゆっくりと食べて味わったことだろう。
希代の哲人といえども食べることなしでは生きてゆけないのだから。
カメリーナはもうその頃には人々にとってなくてはならない存在となっていた。
紀元元年の少し後、救世主イエスキリストが12人の使徒と共にした最後の晩餐のテーブルにもカメリーナはひっそりと置かれていた。
イエス・キリストはこう語る
「このワインは私の血だ。このカメリーナは私の肉だ」と
アッシジのサント・フランチェスコが貧しい農夫の差し出すパンを仲間たちと分かち合ったものもカメリーナであり、
フィレンツェを追われたダンテが
「他国のパンはなんと塩っぽいことか!」と嘆き、懐かしんだのもカメリーナである。
レオナルド・ダ・ヴィンチもミケランジェロもカメリーナを食べて育ちその才能を養った。
20世紀の半ばごろまで、カメリーナはイタリア中央部トスカーナの上女王であった。
宗教的色彩の色濃く残るこの地方の村々では、広場に共同焼釜(フォルノ)があり、
村人は週1度だけカメリーナを焼く。
日曜日の朝、村の主婦たちは各家庭に代々続くマーティア(パンの種)からこねた生地を大きく丸めナイフで印を入れて広場に集まる。
広場には直径5メートル高さ2メートルほどの石で積み上げられたドーム状の窯があり、その中に周囲に沿って薪が並べられている。
イエス・キリストへの祈りの言葉とともに、窯職人フォルテノの手によって火が入れられて薪が燃え盛る。
1時間ほどして石が熱く白く変色した頃、炉床にパンの生地を並べる。
この炉床をフォカッチャという。薪は熾火や炭火の状態で、数時間に渡ってパン生地と熱く交換する。
村人は主婦の常で炉端会議に花が咲く。
昼頃焼き上がったカメリーナは枕ほど大きい。主婦たちはそれを持ち帰り、各家のイエス・キリストの祭壇にお供えする。
その日は断食だ。
カメリーナをイエス・キリストに捧げ、イエス・キリストの命を吹き込んでもらうのだ。
月曜日のカメリーナはしっとりとやわらかく無上の美味しさだ。
人々は手作りの生ハムや煮豆とともにいただく。
火曜日も柔らかくおいしい。ポルチーニのパスタとカルチョーフィが同伴する。
水曜日にはカメリーナの表面が少し硬くなる。人々はそれをスライスしてトーストし、自家製の生ハムやチーズを乗せていただく。ブルスケッタと言う。
鶏のレバーを乗せたクロスティーニはとびきりのご馳走だ。
木曜日はだいぶ固くなってくるが、中は相変わらず柔らかくおいしい。
外側の固い部分は野菜とともにスープに入れてとろみにする。
ミネストローネと言う。
金曜日には硬い部分は水で戻してサラダに混ぜる。シーザーサラダという。
土曜日はもう最後のカメリーナは外側はカチカチで包丁が立たない。斧で割る。
だが中は柔らかくおいしい。
カメリーナの中で酵母が生き続けているからだといわれる。
明日焼く生地をねっておかなければ。
小麦粉と水と保管していたマーディアだけでこねる。塩は入れない。