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マスター小説 第十話 春の出会い
ここに小さな泉があります。
ここはビッキーたちの森。
冬。明るい日射しが差し込み、
早春の頃、ビッキーたちが集まり、卵を産み、
もみじの新緑が輝き、
夏、林鬱蒼とした木々から蝉が鳴きしぐれ、
紅葉が色を染め、
そして落ち葉が積まれる。
同じように毎年自然の営みが
繰り返し続いてゆきます。
ある秋、その泉にショックの赤ちゃんが浮かんでいるのを見つけて、
私はたいへん驚いたのと
同時にうれしくてしかたがありませんでした。
子供の時、このような池でショックを見つけたり、
つかまえたりするのは無上の喜びでした。
今でもこのような水辺を見るとショックはいるかなと常々想像していたのですが本当にいたのです。
毎日、目と花を水面に出して同じ場所に浮かんでいます。
どこから来たのだろう?
どうやって?
誰か子供がおたまじゃくしを話したのだろうか?
昔、私がよくやったように。
秋が深まり、ショックの姿が見えなくなりました。
冬眠したのだろうか。
どこへ?
池の底の下へ。
どうやって?
春にまた息を吹き返すのだろうか?
・・・・・・・・・
椿の花が咲き、
ビッキーたちの春の狂宴を向かえ、ビッキーたちの子供が自ら顔を出すころ。
ショックの姿を再び見ることができました。
だいぶ大きくなって今は泉のふちの石の下の穴に住んでいて、
時折、姿を見せますが、近づくと穴の中にひっこんでかくれてしまいます。
穴に隠れているので、今年はあまり姿を見ることができません。
夏からは、まったく見かけなくなりました。
死んだんかな?
ヘビに食べられて。
あるいは子どもたちに捕えられて連れ去られたのか。
そうして秋が来て、
冬が来て、
そして春が来て、
ビッキーたちが集まって生を謳歌します。
ビッキーたちがいなくなってしばらくして私は見ました。
ショックがじっとたたずんでいる姿を。
呼吸をはじめたばかりで動きません。
大きく立派な姿です。
やはり穴に隠れているのですが、それから何度も穴から姿を出しているのを見かけました。
何かを待っているような表情です。
さびしげな表情です。
(二)
ショックは穴から顔を出して外をながめています。
私はひとりぼっち。
もう何年もひとりぼっち。
春が来た。
何かが、誰かが来てくれるだろうか?
そこへ、ガマオたちの一団が通りかかります。
「なんだ あいつは。変な顔。色も変だぞ」
「やーい、できそこない。おまえなんかの来るところじゃないぞ」
ガマオたちにいじめられてショックは穴の入り口に顔をうずめて泣きました。
しくしくしくしくしく…。
そこへビッキーが来ました。
「こらー、おまえたち何をやってる」
「ヤベー、ビッキーだ。逃げろ。」
ガマオたちは行ってしまいました。
「全く、たちの悪いやつらだ。」
「かわいこちゃん、もう泣かないでいいよ。」
「しくしくしくしくしくしくしく」
「かわいこちゃん、みかけない顔だな。どこから来たの?」
「わからないの?」
「名まえは」
「ショック」
「ぼくビッキー」
ショックちゃんか。
ぼくたちとはすこし違うが、それでも友だちだ。
君は鼻が高くて、口が緑でとても美しいよ。
脚もスラリとして長いし。
「そんなこと言ってくれたのは初めて」
「君はずっと一人でここにいるのかい」
「そうなの。ずっとひとりぼっちなの」
「そうか、さびしいだろうな」
「そう。私ひとりぼっちで生きて、ひとりぼっちで死んでゆくんだわ」
「いやいや、いつかきっと君にふさわしい相手が君を迎えに来るよ。」
「ほんと?」
「来るとも。いつかきっと」
「いつか…」
「きっと」…
(第十話 春の出会い おわり)