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ビッキーとユーリのグルメ探訪(十三)
十三話 お正月
江野の小さい頃、お正月はにぎやかだった。
ひいおばあちゃんがいて、おじいちゃんがいて、お父さん、お母さんがいて、子供たちがいる。
おじさん、おばさんたちがぞくぞくとやってくる。
いとこたちが何十人とやってくる。
土間の玄関は、クツがごったがえし、 が誰のやもわからない。
あちこちで世間話やうわさ話が盛り上がる。
子供たちは群れて遊び、ケンカして泣き騒ぐ。
牛がモーと鳴く。山羊がメェート鳴く。いたるところカニやドジョウがいて、カエルが飛びはねる。
ふすまをはずした大広間で何十人分もの食事が並べられる。
夜は、何十人分ものふとんが。
年末におもちをつく。石の臼に炊きたてのもち米を入れ、杵でよく押しつぶす。
立ち昇る白い湯気。
それからおじいさん、お父さん、お母さんが息を合わせ、ペッタンペッタンとつく。
お父さんたちの杵が振りおろされる前の間にお母さんが水でモチを返すのだ。
つきたての熱い大きなかたまりのモチを「あちっあちぃ」と、いいながらおばあさんが小さくちぎる。
我々子供がそれを丸めて並べる。白いの。緑の。黄色の。黒いの。
おばあさんがきれいに丸めて鏡もちをつくり、神棚におそなえする。
お正月のお雑煮が大好きだった。
あたたかい汁、いろいろな具、自分たちのつくったおもち。
おじさんたちはお酒を飲んで赤い顔をして、大きな声でしゃべっている。
おばさんたちは給仕やかたづけで、あまりゆっくりできない。
土間の台所では、おばさんとお母さんが料理をつくるのにいそがしい。
おばさんたちも手伝う。
子供たちは、そこらへんで走り回って遊んでいる。
このようにして、お正月をむかえてきたのだ。
やがて、子供たちも大きくなるだろう。
嫁をもらわなくては。
そのうち孫が生まれるだろう。
ひいおばあちゃんが死んで、おじいちゃん、おばあちゃんが死んで、我々がおじいちゃん、おばあちゃんになる。
息子たちは元気に働いて、それぞれ嫁をもらい、孫たちも増えて、お正月はこのようにみんなが集まって、にぎやかにすごすだろう。
これまでのように。
これからもずっと。
次の世代が、そして、次の世代がずっと・・・・・・
みんながそう思っていた。
・・・・・・・・・・
小津安二郎は戦後の東京の物語を撮った。
長男は開業医。次女はパーマ屋をやっている。
次男は戦争で不明となり、残された妻の原節子が一人で会社務めをしながら暮らしている。
尾道からお父さんとお母さんが列車で十八時間かけて息子たちを訪ねて東京にやってくる。
故郷の尾道の家とは違って、東京の家は手狭だ。
お父さんは教職を退職して、暇だが、息子と娘は仕事がいそがしい。
なにか居心地の悪さを感じるお父さん、お母さん。
なんとなく迷惑をかけられているような。
熱海の旅館を用意してくれて、数月滞在するが、にぎやかすぎて、こちらもよくない。
原節子だけが会社を休んで、お父さんお母さんを東京見物に案内し、できるかぎりもてなす。
だが、彼女は粗末な小さなアパートで一人暮らしていて、お母さんだけが泊まることができる。
お父さん、お母さんが尾道に帰り、東京の人たちはやれやれといった感じだ。
原節子だけが「お母さん、また来てください」と言う。
だが、そのお母さんがその後すぐ死んでしまう。
お葬式に駆けつける家族。
故郷では末の娘が教職をついでいる。
お葬式が終わり、そそくさと東京に帰る長男と次女。
原節子は、お父さんを心配して居残る。
お父さんは義娘に言う。
「あなたもいい人がいたら再婚して、あたらしい人生を生きてください」と。
小津が撮ったのは、六十年以上たって、今、我々が直面している家族の崩壊だ。
今、江野の故郷の家は、年老いた母一人だけがいる。
あの何十人の人たちが暮らした大きな家に、一人だけだ。
おばあちゃんが死ねば、住む人はいない。
息子たちは都会へ出て行った。
娘は来ない。
子供も生まれない。
江野たちの世代が家を故郷を捨てたのだ。
どうすることができただろう。
かつてのような暮らしはもう成り立たないのだ。
どうすることもできないのか?
江野は恩返しをするために、どうすればいいのか考える。
できるか、どうか。・・・・
横浜駅イタリアン・レストラン・エル・スウェーニョはお正月もやっている。
江野は、午後の時間、ビッキーとユーリを招待して、質素なお正月の食事会を催した。
九州の魚を味わってもらいたかったのだ。
江野の子供のころ、お母さんが毎日夕方こう言う。
「純ちゃん、今晩のごはんなにがいいかなあ?」
カエルと遊んでいて忙しい子供の江野は、うるさいな、またかよと思いながら、
「なんでんいい。魚フライでいい。」
と、毎日答える。
魚というのは、関サバである。
なたね油で揚げる。
太平洋の黒潮と瀬戸内海の豊かな海水が交わって逆巻いて流れ、ほとばしるこの海域は、豊かな海底温泉も加わって、日本でもっとも、したがって世界でもっとも、おいしい魚が泳いでいると思われる。
太平洋の真ん中に浮かぶ舟の上で、ピチピチ跳びはねている魚。
まぐろでもカツオでもタイでもアジでもサバでもいいが、頭をバンと落とし、うろこをシャッシャッととり、鋭い出刃包丁で武蔵の剣のように鋭くサンマにおろし、まだヒクヒク動いている魚の身を柳生の剣のように鋭く刺身包丁で、そろえて切り、わさびしょうゆでいただく。
これがもっともおいしい魚の食べ方であろう。
やったことはないが。・・・・・
日本の食は魚と共にあった。
たくさんの種類の魚がいて、さまざまな料理の方法と保存の工夫がなされてきた。
七輪の炭で焼く秋刀魚は人間だけでなく、猫も大好物だ。
生のままいただく。
炭の火で焼く。
汁としょうゆで煮つける。油で揚げる。ソテーにする。塩をまぶす。酢でしめる。日で干す。
しょうゆを筆頭にさまざまな味つけがなされてきた。
2016年のお正月、ビッキーとユーリの味わった魚は、
ハマチのお刺身。
城下かれいの煮つけ。
関サバの塩焼き。
田舎風のお雑煮と、ちょっとしたおせち料理と合わせていただいた。
九州の地酒もいっしょに。
江野の子供の頃の九州が思い浮かぶのであった。。
(十三話 お正月 おわり)