エルスウェーニョマスターの小説 横浜駅ジャズアンドイタリアンレストラン
(六)夏の少年
夏だ。暑い。
早起きして広場で少年たちはラジオ体操をしています。
朝日がまぶしい。
桜の木々の上からシャッシャッシャシャシャと元気のよい声が聞こえてきます。心が躍る。
クマゼミだ。真っ黒でいちばん大きいやつ。
少年はクマゼミの声が大好きだ。
朝ごはんを食べてから、仲間とセミ取りに行きます。
セミ取り網のようなものはなく、長い竹の先に針金で丸く輪をつくり、大きなクモの巣のネバネバした網を巻き付け、木にとまっているセミのうしろからそっとベタっとくっつけるのです。
こういうことを少年たちは年上の男の子たちから教えられ、年下の子供たちに伝えていったのでした。
いろいろなセミがいます。七月になってまっさきに鳴くのは小さなニイニイゼミ。静かに岩にしみ入る声。
八月になるとジジジジジジ…と鳴くアブラゼミやクマゼミがいっせいに鳴きはじめ山はいっせいに夏、真っ盛りとなります。
夕方にはカナカナカナカナとこの世のものとは思えないようなさびしげな声のヒグラシが夜の到来を告げます。
盆を過ぎる頃からツクツクホウシが登場します。
何という変な鳴き方だ。
少年はミーンミーンミーンミーンという声を聞いたことがありません。
吸収にはいなかったのです。
おひるごはんを食べて、スイカを食べてから、円が合でお昼寝をします。
セミの声に混じってキリギリスも鳴いている…チョンギース、スース―スース―。
次の日も朝日が昇ります。
今日はどんぐり林へ行きます。
いるいるいっぱいいるぞ。
どんぐりの木の幹から木の汁が出ていて、大きな角のカブトムシやクワガタがひしめいています。
相手を押しのけて汁を吸っています。
スズメバチに気を付けさえすれば手で取り放題です。
しばらくカブトムシたちの様子を眺めています。
オスが汁を吸っているところへメスが来た。
驚くべきことにオスはメスにえさをゆずるのです。
オス同士だと角を付き合わせてケンカします。
相手がメスだとオスは必ずゆずります。
クワガタもそうだ。
メスが汁を吸っている間、その上にかぶさるようにして守っています。
男子たるものこうあるべきである。
クワガタムシにもいろいろ種類があって、角(アゴ)の長く曲がったノコギリクワガタ、平べったいヒラタクワガタ。小クワガタ。最大のオオクワガタ。
オオクワガタはどんぐりの幹と皮のすき間に自分の単穴をつくって隠れています。
穴からこちらに向けて角をかまえていて、指をはさまれようならものすごく痛い。
細い枝を差し出してオオクワガタがはさんだところを猫で角を押さえたまま引っ張り出すのです。
………
少年は今日は一人。
山をどんどん奥へ進みます。
セミの声が天から降りそそぐ、どんどん進んでゆく。
セミの声もどんどん大きくなる。
白い老人が現れた。
白い髪、白いひげ、白い着物。
こっちを見て微笑んでいる。
少年はこわくありませんでした。
「こども。せみとっちょるんか。」
「うん。」
「ほう、どれどれ、セミがすいちょるのお。」
「うん。」
「わしも好いちょる。」
「おじあんも?」
「ああ、すいちょる。」
「おじさん。」
「ん。」
「セミはなぜ鳴くんですか?」
「なぜ、セミは鳴くんか?と。かしこいこどもじゃのう。」
「学校の先生はオスがメスを呼ぶためと言っていたけどそんなふうには見えないし、メスはそばにいるのにあんなにやかましく鳴かないでもよさそうなもんだし。カブトムシは鳴かないし…。」
「そんとおりじゃ、こども、セミはどう気ゆうて鳴いちょるのかの?」
「セミがどう言ってるの?セミがことばを?」
「そうじゃ、セミは長い間の地中からやっと出てきて、短い命の限り鳴くんじゃ。
(夏だ、夏だ、光だ、光だ、世界だ、世界だ、生きろ、生きろ)
と世界に向かって歌っとるんじゃ。
木々に向かっては、
(ありがとう、ありがとう、ぼくたちを育ててくれてありがとう。ぼくたちの子供たちをよろしく)
と歌っとるんじゃ。
木々たちはセミのこの歌をきいてうれしくて枝葉をいっぱいに伸ばしていちだんと大きくなる。
森の虫や動物たちも血が熱くなり力いっぱい生きるんじゃ。
セミは神さまが選んで世界のために歌うようにつくられたんじゃ。」
「そうか。神さまが歌うようにつくらたのか」
少年はうれしくなりました。
「おじいさん、ありがとう、もう帰らなくちゃ、さようなら。」
少年は、山道を下ってゆきました。
途中で振り返ると老人の姿はもうありませんでした。
ゼミの声がいちだんと大きくなりました。
「ガンバレ、ガンバレ、ガンバレ、ガンバレ、ジュン、ガンバレ。」
少年にはこのように聞こえました。
(第六話 夏の少年おわり)