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エル・スウェーニョ 横浜駅 ジャズアンドイタリアンレストラン ビッキーの論説 ギリシャ神話 一章2016.02.17

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ビッキーの論説 ギリシャ神話 一章
ギリシャ神話は興味深い豊富な物語にあふれている。

それらのまず、神話の中心である神々と世界はどのようにして生まれたのかということについての神話が、

ヘシオドスの「神統記」によって語られている。

ヘシオドスはホメロスとだいたい同じ時代の農耕を営む詩人であったと伝えられ、「神統記」は、宇宙の生成および神々の系列を伝えた叙事詩である。
それによるよと、最初にカオスが存在し、そこからガイヤ(大地)が生まれた。

「カオス」のものとの意味は空隙とか虚無というべきもので、万物が成立する場所としての存在があったが、後に混沌という意味に変わってくる。
このような自然発生的な生成では、生まれ出るためにその素材が必要であるという考え方から混沌という意味が出てきたのだと思われる。

旧約聖書では神による「無からの創造」が説かれているのに対して、ギリシャ神話の宇宙の成立は、素材から生まれてくるというように、生物学的な世界観といえるだろう。
カオスからガイアが生まれると同時に、別にエロースも生まれ出る。

愛の神エロースはいわゆる男性と女性の愛の営みによって、物が生まれ出るために不可欠な存在であり、ここでは万物を生み出す生の力の象徴とみることができる。
ガイア(大地)は一人でウラノス(天)を生み出した。大地が天を生み出したのだ。

ウラノスは世界を支配し、ウラノスとガイアの間に生まれる神々が、ティターン(巨神)族と呼ばれる。いわば古い神々である。
彼らのうちで、その後の神話で活躍するのは、

すべての海や河川の父である大洋神オケアノスとその妻の女神テテュス、

ゼウスに罰せられて天を肩にかついでいるアトラス、

火を人間に与えたため同じくゼウスに罰せられるプロメテウスなどである。
さて、ティターン族の中のクロノス(時)がウラノスの支配を破って新しい王となるのが、

その時のいきさつは、ウラノスの横暴に怒ったガイアが、息子のクロノスに大鎌を渡しておいて、夜ガイアのそばに横たわったウラノスの男根を切りとらせたというのである。
そして、海に捨てられたウラノスの男根から泡がわきあがり、その中からすばらしく美しい乙女が生まれた。
美の女神アフロディア(ヴィーナス)であるといわれる。
新しい支配者クロノスには、妹のレアとの間に六人の子供ができるが、その「時」という名のごとく残念な性格で五人の子供をすべて呑み込んだ。
六人目のゼウスがなんとか生きのがれ、兄や姉たちを助け出して、ゼウスを中心とする新しい神々はオリュンポス山に陣取って、クロノスらティターン族を相手に壮絶な戦いをくりひろげ、ついにはゼウスらが勝利をおさめる。
こうしてゼウスを主神とするオリュンポス神の支配体制が成立し、ギリシャ神話が展開してゆく。
神々はオリュンポスの山の上で、ネクタル(神酒)を飲み、歌や音楽にかこまれて、憂いのない不死の生活をおくるといわれている。
これが、神々の誕生のだいたいのいきさつであるが、ここに描かれているのは、ウラノス、クロノス、ゼウスという親子三代にわたる支配権の交代である。
これは古代神話に共通する一つのパターンであるともいわれ、日本の古事記にも類似点があるらしい。
しかし、古代ギリシャの場合、紀元前二十世紀後頃インド・ゲルマン系ギリシャ人が今のギリシャ地方へ南下し侵入していった事実があり、ゼウスという名は、彼ら印欧語族の共通する主神の名であり、侵入民の神であった。
それに対して、テッサリア、アッティカ、ペロポネソス半島というギリシャ本土の先住民の神々がティターン族に当たるものと思われ、そして、この場合、ティターン族の敗北という形で、ギリシャ人の侵入が表されたといえるだろう。
これらの三世代にわたる神々の中で、いちばん大きな力を持つのは、ガイアである。
ガイアはひとり一貫した地位を持ち、不滅の存在であり、それぞれの支配者を陰であやつっている。
ガイア(大地)はウラノス(天)を生み出した。
これは、宇宙がどのようなものであるか多少とも知っている我々では考えもつかないことではあるけれど、遠い天空より、まず身近な大地に価値をおくという、ギリシャ民族の特異な見解ではないだろうか。
古代の神話の中をさがしても、このようにおおきな力を持つガイア(大地)に相当するような神格は見出せない。
例えば「旧約聖書」では、神は時間より以前に存在し、無から天地や人間を創造するのであって、人間の現実の生活と神との間は非常に離れている。
日本の神話でも、神々が天上から日本の国を造り出すのであって、農民の生活からは考えられないことだといえるだろう。
それに対してギリシャ神話は、まず人々に農作物の恵みをもたらす大地が宇宙や神々や人々などすべての根源となるのである。
それはまた、神話の形成過程にも問題がありそうである。
古代の神話の多くが、そのときの政治権力や教団の立場によって作られ、整理されていたのに対し、

ギリシャ神話はそういうものから自由に、詩人や遊牧民たちの手によって、自分らの素直な感じ方を表現できたからこそ、大地をいちばん重要な神としたと考えるのである。
古代の生活が土地と離れられないものであり、また農耕の営みによって生活が成り立っていたという民族は多かったはずであるから、

恵みをもたらす母なる大地として信仰するという思想は普遍的に存在することのように思えるが、必ずしもそうではなく、

その他の民族の神話や宗教思想には地母神のような存在はあったにせよ、

このような破格の力を持つガイアというふうな信仰はみられないそうである。
とすると、現代の我々も感じうるなつかしさと豊かな可能性を持つ「母なる大地」は、

古代ギリシャにおいて大いなる神の名を与えられ、ここにみられるような人間と大地との関係は、限りなき豊かさと底知れぬ深みを持つ、存在の母というべきものへの我々に求められている失われた絆ではないだろうか。
大地にこのような大きな価値をおくのは、主にヘシオドスの独創とみなされるわけであるが、彼はまた貧しい農民でもあった。
農耕を営む者としてはいうまでもなく、古代ギリシャ人は大地を万物に生み出す存在の母として、非常に重視していたと思われる。
例えば、後のプラトンにいたってさえ、「妊娠や出産においては、女が大地を模倣しているのだ」と語っている。
つまり植物だけでなく、動物も人間も大地からこそ生まれ出るというように、一般的に考えられていたわけである。
これは、しかしながら、農耕民によってのみ可能な発想だと言え、母なる大地を中心とする考え方は、一種の母権制の表れであるといえよう。
ガイアはこうしてみると、農耕を営んでいた先住民の太古神といえるわけで、

放牧民である侵入ギリシャ人がゼウスとともにギリシャへ南下したのにともない、

このギリシャの地でガイアとゼウスが同居することとなったはずである。
ヘシオドスのガイアをすべての神々との母とする神話は、両者の最初の結合とみることができる。
そうしてその後はゼウスを中心とする神話を形成するが、本当は大地の力は決して小さくなってはおらず、両者は神話の中でさまざまな形で抗争し、結合していくわけである。
オリュンポス神の支配が確立した後にも、ガイアは、まずその外形として、

大地の工作された部分は農耕の神デメテルという農作物の恵みをもたらす女神として存在し、

原子の森や山野は狩猟の女神アルティミスとして、その神秘的な姿で現れる。
また、古い神々の同族としてガイアの力は、ゼウスに反抗するティターン族に現れ、それは特にプロメテウスに代表されている。
さらにガイアの持つ豊かさや神秘性などは、愛と美の女神アフロディテや、酒と陶酔の神ディオニュソスに表されている。
このほかにもガイアは、その広大な姿と豊富さでさまざまな側面を神話の中に反映している。
ところで、ギリシャ神話はヘレニズム時代になると、星や星座に関する話が流行し、大地の地位が消えてゆくのであるが、

本来のギリシャ神話は大地の力が健在で、その力がはっきり現れていた期間のものというふうに考えられるべきであろう。

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